東日本大震災の夜に目撃した「謎の巨大火の玉」はいったい何だったのか?

  • 2016年3月11日
  • 2022年5月21日
  • NOTES

僕(@ka__zz)の人生にとって2011年3月11日は巨大地震、福島第一原発のメルトダウン、そして巨大な火の玉を目撃した日として深く記憶に刻まれた日です。

東北と関東を襲った大地震と津波、原発の崩壊。

その夜、停電で真っ暗になった街をチャリで帰宅をしている時、SF映画でしか見たことがないような、発光する巨大な物体が、西から東の夜空を横切ったのでした・・

東日本大震災当日の夜、僕が目撃した巨大な火の玉は何だったのか?

2011年3月11日、14時46分に揺れ始めた大地震。

当時、群馬県太田市でアパレル会社のネット通販をしていた休憩中、関西の友人とツイッターでやりとりをした僕は、グラグラと揺れた後の・・真下からドスンと突き上げられるような強烈な揺れに、外に出ないとヤバいと思いオフィスから外へ出たのです。

そこで目にした光景は、

走行できずに停車している車の列、そしてグニャグニャと揺れる電柱でした。

この時まで体験してきた大きな地震では感じなかった怖さと、これから只事ではないことが起きる!という予感に、ぞわぞわしながら再びオフィスに戻り、ツイッターのタイムラインから流れる地震でパニックになっているつぶやきを読んでいると・・

相当デカい地震で津波が来るらしいという情報。

社長自ら仕事を中断してミーティングルームにあるテレビのスイッチを入れると、これまたパニックになりながら情報を伝えるテレビが・・。棚の物が落ちたくらいで直接的な被害をまぬがれたオフィスでは、楽観ムードがただよっていましたが、テレビで次第に流れてくる津波の情報によって、僕たちは言葉を失うことになりました。

電話の回線は一時パンクしていましたが、最初の揺れから確か1時間後くらいに自宅につながり、スタッフ各自が家族の無事を確認すると、ざわざわとした不安を抱えながら各持ち場へ戻り、仕事を再開させたのです。

社長と地震が仕事の流れに直接かかわる物流部門のリーダーは、リアルタイムな情報を仕入れるためにミーティングルームに張り付いてテレビから情報を得ていたのですが、地震から50分後、津波に襲われた福島第一原発が電源と冷却システムを喪失して爆発に至ると、楽観ムードだった社内が一転して異様な緊張感に支配されました。

最悪の事態を想定した人生初の出来事。

ミーティングルームのテレビで繰り返し流される津波の映像、沿岸部への避難指示、福島原発の爆発、交通機関の麻痺、飛び交う憶測。もうこうなるとネット通販の仕事が明日から成立するかどうかも分からない状況になり、デスクのパソコンをニュースとツイッターに切り替えて、僕なりに情報を整理することにしたのです。

そんなことを考えていたのは、隣のデスクで仕事をしていた原君も同じで、以前から環境問題に詳しかった彼は、さっさと仕事を停止して、僕以上にシビアに情報収集をしていました。

原発関連のつぶやきに「メルトダウン」の文字が流れ始めると、原君の表情は厳しくなり、僕の頭に浮かんだのはテレビドラマ「24」で、テロリストによって電源を遠隔操作されたアメリカの原発事故のストーリーで、不謹慎とは分かりつつも、海無し県に住む僕たちにとってリアルに想定をしなければならないのは津波ではなく、揺れが止まらない余震と、直線距離でおよそ220km先にある爆発した原発からだだ漏れする「放射能からどうやって逃げるか?」ということを、夕方の5時くらいに原君と話を始めたのでした。

そんな素人でもわかるような危機的な状況の中で、テレビでは爆発した原発のVTRの煙が本物かどうか?を解説するという呑気というか、現実的な危機をまったく捉えていない状況でした。

いっぽう原君と僕は気象関係のサイトで今夜から明日にかけての風向き情報を入手したり、非常食と水の買い出しの話をしたり、最悪どこへ逃げれば被曝しなくて済むか・・という議論をすすめていたのです。

錯綜と混乱を極めたテレビ局とツイッターから覚悟したことは、原発の状況によっては車で関西へ・・最悪は九州へ避難することでした。
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静寂と暗闇に包まれた街と巨大な火の玉。

結局、震災当日は19時40分までオフィスにいました。

この日、会社を退出する時に僕の中で感じていた強烈な思いがあって、それは会社のドアを開けて外に出た瞬間から、今までの人生とは違う人生が始まる・・ということでした。

放射能の状況によって、今夜には地元を離れて関西へ行くかもしれないし、運が良ければ地元にとどまるかもしれない。最悪は九州か、もしかしたら沖縄まで行くかもしれない。

この先がどうなるのか、誰にも分からない状況で確実だったことは唯一、昨日まであった普通の日はしばらく訪れないだろう、ということでした。

なぜなら僕たちは、この日から変わらなければいけない状況に追い込まれたからです。

自然界のチカラによって・・

自転車に飛び乗ると、まだ肌寒い夜の風をきって家路を急ぎました。

会社がある地区から少し離れると、地震の影響で街全体が停電していて、家の明かりや街灯はおろか、交差の信号すら点灯していません。いつもと同じ通勤道なのに、電気が灯っていないだけでどこか違う世界に迷い込んでしまったような感覚。

実際に僕たちはこの日から違う世界で生きることを、真っ暗な街が表していたのです。

今でも不思議なんですが、余震や放射能の恐怖や不安よりも、希望のような颯爽とした気分で自転車のペダルをこいだことを憶えています。

その時でした!

電気がないと星がきれいだなあ・・」と、夜空を眺めながら自転車を走らせていると、突然に空がパアーッと光り輝き、西の空から不気味なくらいに大きい発光体が現れたのです!

流れ星のように一瞬ではなくて、その巨大な火の玉は5〜6秒ほどかけて夜空を横切ったのでした。

自転車を止めた僕(@ka__zz)は、何が起こったのかを考えながらiPhoneを取り出して、ツイッターで検索しました。

キーワードは・・

「火の玉」です。

すると、山梨や都内でも同じような巨大な火の玉を目撃して、驚いたり恐怖しているツイートがいくつも出てきたのです。つまり、幻覚ではなくリアルだったことを確信したのです。

いわゆる未確認飛行物体ではなく、隕石の落下である可能性が高いのですが、その後Youtubeなどの動画サイトで見ることができる巨大流れ星のどの映像よりも僕が見たものは大きかったのです。

この起きた大地震、テレビから流れる津波の映像、福島原発の爆発・・衝撃的な出来事が押し寄せた1日でしたが、そのすべてが霞んでしまうほど僕が目撃した火の玉はインパクトがありました。

そして、この日から僕の身に起きる変化をしっかりと受け入れられるように、神様が見せてくれたギフトだったのかもしれません。

僕たちは震災のあと変化できたのか?

この記事を書いている2017年3月11日で6年が経過しても、放射能汚染によっていまだ避難をつづけている人たちや仮設住宅暮らしの人たち、そして行方不明な人がおられたり・・いまだ収束の兆しが見えない被災地。

そのいっぽうで、東京ではオリンピックの開催が決まったものの、利権がからむ古い構造によって、国家と社会システムの行き詰まりを露呈し、多くの矛盾を抱えたまま迷走をつづけ行き詰まっている僕たちの国・・

大きな犠牲と引き換えに、変化の機会をあたえられたにもかかわらず、変われずにいる人や組織がここ最近ニュースで目立っています。

人はもともと変化を恐れる生き物です。

僕も変わることが怖いと思うことがたくさんあります。

そんな時に、2011年3月11日に目撃した火の玉を思い出すと、不思議と前へ進む勇気が出るのです。

ॐ Samastha lokah sukhino bhavantu

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