
7月30日の日本時間で8時24分に発生したカムチャツカ半島での大地震。
マグニチュード8.8の揺れは観測史上世界で6番目に大きな地震だったらしい。そんなことが起きているなんてまったく知らず、僕は信太郎さん家にいた。場所は房総半島の中程に位置する千葉県いすみ市岬町。地名が表す通り、海まで徒歩30秒の立地にある。
夜は、波の音を聞きながら眠りにつける最高に癒される場所だ。
この日は、外房の海沿いを走る国道128号をくだって館山にある安房神社と洲崎神社まで参拝にいく予定だった。地震が起きて間もない朝8時半に信太郎さん家を出発。信太郎さんの提案で大原のガストで朝食をとることになり、注文を終えるた信太郎さんが「え!?津波だって」と言い出した。
驚いた僕はiPhoneを取り出してXのタイムラインを見た。すると、カムチャツカ半島の大地震の影響によって日本の太平洋沿岸部にも津波が迫っているニュースを確認したのだ。
大地震といっても遠いロシアで起きたものだし千葉まで影響はないだろう、と安易に考えた。

信太郎さん宅周辺の風景。埼玉よりも涼しくて過ごしやすい。
しかし、信太郎さんは愛犬が自宅にいるから念のために家に戻ろうと言い出した。そんな大袈裟なと思ったが、信太郎さんは東日本大震災の時、実際に津波警報によって朝まで避難をした経験がある。そのためか、今回の津波についてもシビアに考えていたようだ。
あたふたしていると、妹さんから連絡が入った。どうやら津波は注意報で到達する高さも1mほどらしいので家に戻らずにそのまま予定通り館山へ行って大丈夫だよ、という内容である。ところが、安堵してコーヒーを飲んでいると、ガストの外から防災放送が流れてきた。
「命の危険が迫っています。今すぐ高台に逃げてください。」
状況が変わったとすぐにわかった。再び、Xを開いて情報を確認する。津波の高さは3mで11時過ぎには岬町の海岸に到達するらしい。信太郎さんは「すぐ家に戻ろう。」といい妹さんにその旨をLINEした。僕は神社へ行きたかったが従うしかない。3mだし大丈夫だろう?というのが本音だった。しかし、3.11の津波で避難の経験がある信太郎さんには緊迫感があった。
信太郎さんの家は海抜7mにある。3mの津波では影響はない。
しかし、それはあくまで想定であって実際の津波は予想を大きく超えることもある。東日本大震災の教訓は、避難指示が出たらとにかく逃げる、なるべく高いところへ逃げる、津波が来なくても逃げることだ。
とにかく急ごう!
避難を呼びかける防災放送は「命の危険が迫っています。近くのお年寄りにも声をかけて今すぐ高いところへ避難してください。」とかなり強い口調で繰り返し呼びかけている。僕たちは家に戻ると、愛犬と防災用の水を車に積みこむと急いで近くの灯台へ向かった。

避難所になっている灯台の様子。
避難場所に選んだのは信太郎さん家から車で3分にある大東崎灯台。到着は10時くらい。
すでに、駐車場は近所の人たちの車で埋まっていた。消防員の人たちの誘導でなんとか駐車すると、太平洋を一望できる場所へ行った。ふだんはウォーキンで訪れては瞑想したりリラックスをしている場所で、避難してきた人も気持ちよさそうに海を眺めていた。緊迫感はない。
津波の到達予測時刻は10時30分。
灯台がある場所は海抜90mあるから、巨大隕石落下クラスの超巨大津波でもない限りは大丈夫だと思いながら津波を待っていた。スピルバーグがプロデュースした映画「ディープインパクト」では高さ数百メートルの津波が内陸の山まで到達した描写がある。しかし、今回は3mだ。

避難した大東崎灯台の風景。この写真は津波到達前に撮影。
僕たちが海を眺めていると、隣のベンチのおじさんが昔ながらの携帯用ラジオでNHKニュースを流していた。すでに、北海道では津波の到達が観測された状況をアナウンサーが喋っている。それと同時に「一刻も早く高いところへ逃げてください。命を守るために避難してください」と声を張り上げている。
僕たちはラジオは持っていなかった。iPhoneの電波はギリギリ届く範囲で通信に問題はなかったが、災害の時は間違いなく携帯ラジオは必須だと思った。スマホの電池の消耗はなるべく避けた方がいいし、ラジオなら周囲にも情報を共有できる。
海を望む場所は、真夏の太陽が燦々と照りつけていたが海風が涼しかった。
午前10時30分、津波の到達が予想された時刻になったが、海を見ると特に変わった様子はない。ニュースではすでに関東の沿岸部に到達しているというが静かなままだった。11時になっても、肉眼では変化が見られない。しかし、ラジオからはこの津波はあくまで第一波だから、第二波、第三波を想定して避難場所から離れてはいけないと繰り返されている。
11時30分を過ぎても、静かなままだったので駐車場のすぐ脇にある屋根とテーブル椅子がある場所へ移動することにした。14-15人ほど近所の人たちがいたが皆さん楽観ムードだ。なかには、お腹が空いたから沿岸から離れたお店へランチを食べに行く人も現れた。
僕も内心はもう大丈夫だろうと思っていたが、その油断によって命を落とすのがパニック映画のパターンでもあるし、避難指示が解除されるまではここに居ようと考えていた。
屋根の下は日陰だから涼しかった。むしろ、海風が当たると寒いくらいだった。埼玉では最高気温が36℃の日なのに、日陰とはいえ寒いという感覚は驚きだった。テーブルにはご家族や一緒に避難してきた犬たちもいるから子供たちはよその犬に話しかけたり撫でたりして和んでいる。
そのなかに、僕らの世代には有名な芸能人がいて、最近はテレビには出ていない方だが風格がある。すぐに名前を思い出した。1990年代は大河ドラマやトレンディドラマに出演して人気もあったが、その後、この近くに移住してサーフィンをしながら暮らしているそうだ。
ラジオでは避難指示が繰り返されてはいるが、さすがにお腹が空いた。
防災用の水は信太郎さんが備蓄してあったものを持ってきたが食料までは持ってこなかった。お菓子でもあったらよかったがそれもなくどうしようか?思案していると信太郎さんの妹さんから連絡が入り、仕事を抜け出して愛犬の食料を届けに来てくれるいう。しばらくすると到着した。犬のごはんと一緒に僕たちの食料も買って来てくれたのだ。

妹さんが差し入れてくれた避難食をありがたくいただきました。
避難指示が出た段階で、海沿いを走る国道128号沿いのコンビニ、スーパー、薬局、ダイソー、カインズホーム、ガスト、COCOS、マクドナルド等はすべて閉店し、店員さんたちも家に帰っていた。それを見越して妹さんは、会社の近く(海から離れている)のセブンイレブンで買って来てくれた。
思い返せば、3.11の時はコンビニ、スーパーから食料品がすべて消えた。ガソリンスタンドには1kmほど車の行列ができたし、ホームセンターでは生活物資の買い占めが起きた。今回は、そこまでではないものの24時間営業しているお店のシャッターが降りている様子は、緊急事態であることを物語っていた。
15時近くになってもひっきりなしに避難指示が防災放送から流れてくる。
しかし、避難所は数えるほどしか人がいなくなった。近所の人と親しげに話をしている俳優さん親子はまだいた。信太郎さんに判断を仰ぐと、家に戻ろうということだった。ここから先は自己責任で自分の命を守ることになる。万が一、第二波が来て津波にのまれたとしても避難指示を無視した形になるわけだから文句は言えない。
避難指示の解除はおそらく翌日になる、ということだった。結局、いすみ市に到達した津波は30cmほどだったそうだ。しかし、津波については100回避難して、100回津波が来なくても、101回もまた逃げろ、という教えがあるわけだから、いずれ訪れるであろう南海トラフ地震や隕石の落下による津波が来たら、たとえ埼玉の内陸にいたとしてもしっかり避難しようと思う。
コメント