「MASTERS OF THR AIR」爆撃機B-17のドイツ空襲を描いたドラマが最高に面白い。

アップルTVオリジナルの戦争ドラマ「MASTERS OF THR AIR」ようやく観ることができた。

ものすごく面白くてグイグイと引き込まれた僕は全9話を二日で観てしまった。

ドラマの舞台は第二次世界大戦のイギリスとドイツ、その空域が舞台。アメリカ人の若者たちが空の戦闘で命のやり取りを繰り広げる。このドラマの制作総指揮はスティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスだ。ネット配信ドラマで全9エピソード(各50分前後)に300億円を投じて作られた。

僕は第二次世界大戦を背景にした人間ドラマに子供の頃から深い興味があった。だから色んな映画を観たし、今でもその時代のものを探し出しては観ている。人間を狂わせる戦争という舞台。特に第二次世界大戦に関わるドラマは人間の醜さと同時に崇高な生き様(死に様)を描かれたものが多い。

戦争とは、この世の不条理のすべてを凝縮したような行為だし、それに巻き込まれた時の生き方を問われるものだ。大東亜戦争終結以降、日本は武器を使った戦争は行っていないので、平穏な世界で生まれ暮らしてきた僕が大きなことを言えるわけでもない。だからこそ、映画やドキュメントなどで戦争の擬似体験をすることは意義があることだと思っている。

良い映画は、深いレベルで意識をその世界に没入することができ、あたかも自分がその体験をしているかのような錯覚を与えてくれる。その意味でMASTERS OF THR AIRはものすごい意識体験をさせてくれる。

空飛ぶ要塞と謳われた爆撃機B-17とそれに搭乗する若者たちが主役のこのドラマ。1943年から1944年にかけては戦闘機の護衛なしでドイツ本土空襲を行っており、壮絶な空中戦の描き方は、映画プライベートライアン冒頭の海岸上陸時のリアルすぎる戦闘シーンを思い出した。その後に描いたドラマ「パシフィック」も凄かった。スピルバーグとトム・ハンクスの執念と最新技術によって、本当に現場にいるかのような意識に陥る映像が、空中戦として表現されたのだ。

戦闘に入るまでの空の描写はとにかく美しい。

うっとりするほどの美しさだ。

しかし、ドイツ領域に入り対空砲が地上から放たれると恐怖に支配される。

砲弾に当たるかどうか?は操縦士がコントロールできるレベルではないから、運に身を委ねながら標的まで飛ぶしかない。アメリカが欧州戦線に参戦したのは日本が真珠湾攻撃をした後だから、ドイツ空襲に参加した兵は訓練をしただけで実践が初めてだという者がほとんどだ。

対空砲が止むと今度は戦闘機メッサーシュミットによる攻撃が始まる。B-17はエンジンに球を喰らって炎上してもプロペラが4つあるためバランスをとりながら航続が可能で、墜落するにしてもドイツ領域から脱出するまでなんとか飛ぼうとする。飛べなくなると判断すれば動ける搭乗員たちは機体から飛び降りてパラシュートを開く。

パラシュートで降りている兵にも敵の戦闘機は容赦無く機銃を掃射してくる。運良く地上に降りることができても、もしドイツ領域であればそこからさらに試練が始まることになる。生き延びるにはドイツ外に逃げるしかない。捕まれば大抵の場合殺されるし、運がよくて捕虜となり収容所に送られてしまう。身分が証明されずに万が一スパイ容疑でゲシュタポにつかまれば拷問のあげく殺されることもある。

こんな内容をすべて主観で疑似体験できるのだから呼吸ができなくなるほど没入できる。

しかし、実際の戦争は平和な時代を生きる僕らの想像をはるかに超えて異常だ。

収容所に入れられてたとして飢えをしのぐのがやっとな食事で、ここでも殺されることもあるから、勇気ある兵士は脱出計画を練るわけだ。名作「大脱走」では80人あまりが脱走したがこれは実話に基づいている。そして、80人はほぼ全員が捕まり50人がゲシュタポによって処刑された。

MASTERS OF THR AIRは徹底して最前線で戦う兵士視点で描かれている。

今の時代に生きる日本人からすれば、無差別空襲で東京を焼け野原にして広島と長崎に原子爆弾を投下して何十万人という一般市民を殺戮したアメリカが何をほざく、という見方もある。とかくアメリカは正義と悪で物事を考える風潮が強く、ナチスと日本を悪の帝国、自分たちが正義のヒーローに仕立て上げて悪を倒すためなら人道を無視した行為も平気でやるし、ルールも破る。

ただ、最前線で戦う兵士からすれば生き延びるためならどんなことでもする必要があるわけで、後世の人間がカフェで珈琲を飲みながらいくら評論したとしても意味をなさない。兵士は任務を全うすること、自分の役割を果たすことがすべてだ。劇中でも、誤爆によって破壊された市街で子供の死体を抱き抱えながら泣き叫ぶドイツ人女性が描かれている。しかし、少しでも躊躇すれば自分が殺される側になる戦争だから心は傷んでも相手が兵隊なら銃の引き金をひかなければならない。

いろいろ考えると、アメリカの兵士たちは自国のためではなく他国(ドイツに占領された国々と迫害されたユダヤ人)のために自分の命を犠牲にするという辛い立場にあった。日本兵は日本の家族を守るためだが、大西洋によって隔たれたアメリカはドイツに占領される可能性はほぼゼロなのだから、他人のために戦うには無理矢理にでも悪役を仕立てて、アメリカ国民の戦意を駆り立てる必要があった。

第一次世界大戦後、アメリカ国内を優先し他国に干渉しない孤立主義をとり、ブラックマンデーに端を発する世界恐慌も影響して、ナチスが大暴れしようが欧州には支援はするもアメリカ自体は不参戦を貫いていた。それを良しとしない勢力があって正々堂々と参戦できるように日本に経済封鎖を強いて追い込み、うまく誘導して真珠湾を先制攻撃させることに成功。

マンハッタン島のツインタワーに飛行機が突っ込み崩れ落ちるシーンと、真珠湾に停泊していた艦船が燃えて傾いている様子。そして、大統領による勇ましい宣言が同じパターンなのは興味深い。

そんな為政者たちの思惑とビジネスによって一般市民は戦禍に巻き込まれるわけだが、職業として軍人になった兵も、徴兵されて無理やり戦わされる兵も目の前に敵がきたら命を懸けて戦うしかないし、任務を果たすことだけに命を使うことになる。ドイツ本土爆撃では4000機を超えるB-17と26000人以上の兵士が死亡したらしい。その一方で一般ドイツ市民は40-50万人が空爆によって亡くなっている。

兵士も市民も今までの生活を奪われてしまうのが戦争だがメジャーリーグは中断されなかった。

ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃から1年後の1942年1月にグリーン・ライト・レター(Green Light Letter)という手紙をMLBコミッショナーに送ったらしい。野球は「戦時中のアメリカ国民の娯楽と心の支えとして必要だ」と書いてあったようだ。

主人公の愛称バックはニューヨークヤンキースの大ファンで、ナチスによる取り調べでは戦地で試合の情報が入らないことを利用してワールドシリーズの結果を教える代わりに米軍の機密を聞き出そうとするシーンがあって、とても面白かった。今も昔も野球に夢中になる気持ちは同じだ。

劇中でも誤爆で市民が犠牲になることがわかっていながら爆弾を投下するシーンがある。

それでも「ヒトラーを倒すためには必要なこと」として遂行される。理論的にも感情的にもそう考えるしかないのだろうが、しかし冷静になれば他にいくらでも方法はあったと思う。日本の場合は、降伏の判断が遅れに遅れていたことに米国に付け込まれて原爆を投下する理由を与えてしまったのだし、実際に原爆を使ってその威力を国内外に示さなければ原爆を持つ国の優位性をアピールできなかっただろうし、原子爆弾という商品の威力を示してこそビジネスになるのである。

そんなことを後世に生きる僕は呑気に思うが現場の兵士は命令通りに働くことが使命だ。

話は逸れたが、MASTERS OF THR AIRを観て驚いたのが前線基地にバーやクラブがあって優雅にお酒を飲んでいるシーンがあった。気になって調べたが史実に基づいた描写であり、実際に士官専用のバーではウイスキー、ビール、カクテルが飲めたし、一般兵でもビールが飲めるバーが基地内にあって、出撃直前以外は自由に利用できたらしい。

日本軍を描いた映画でも日本酒を飲んだり、密かにとっておいたウイスキーを飲んでいるシーンがあったが、その様子は質素なものだ。ムーディーな間接照明があってジャズを演奏しているバーが前線基地にある国と戦っても勝ち目はないと思ってしまう。資源もモノも足りない日本は精神を全面に押し出したが、物質主義の米国に負けたわけだ。

最後にまた繰り返しになるがMASTERS OF THR AIRは人の生き方、生き様を描いたドラマだ。

地球に生きている限り戦争がなくなることはない。

それに巻き込まれた時、僕はどう振る舞い、どう生きるのだろうか?

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