いま現在、食べ物屋とか夕方5時には閉店してしまう埼玉県西部に位置する片田舎に住んでいながらも、わりと優雅に楽しく生活をしている僕(@ka_zz)です、ごきげんよう。
当初は半年くらい、長くても1年でまた他の場所に移り住もうという計画が、氣がつけば2年半が経過しているわけで、その理由のひとつがノイズの少なさにあります。
この記事で使うノイズという言葉を「不自然で気持ちよくないモノ」と、ここで一度定義しておく必要があります。具体的にいうと、、
①目から入る不快な情報
②耳から入る不快な音
③身体で感じる不快な感覚
この3つが僕にとってのノイズとなります。
今住んでいる環境が、ノイズが限りなく少なく、静けさが多い場所で、精神的にリラックスできることが僕にとって、そして人間にとって必要であることを常々感じているわけです。
目と耳と身体で感じる不快なノイズとは?
僕たちが生活している環境には多かれ少なかれ「やだなあ」って感じる不快感があります。
感じる・・という言葉の通り、感覚は人それぞれ違うので、今からあげることは僕の個人的な話にすぎませんので、さらっと読みすすめてください。
目から入る不快な情報とは?
お店や企業のダサい看板・送電線・コンクリート擁壁などなど。
耳から入る不快な音とは?
工事現場の雑音・大量の車やオートバイが走る音など。
身体で感じる不快な感覚とは?
スマホの電磁波・送電線の電磁波など。
上記に掲げた僕的に不快である、と感じるノイズは経済活動が活発な街の暮らしではふつうに存在しているものです。しかし、殆どの人はノイズを受け入れているか、またはノイズをノイズとして感じていないか、のいずれかだと思われます。
実際のところ僕自身・・
上記のノイズたちが溢れる街で暮らしていたことがありまして(直近では所沢駅の近く)、その時は、多少の不快感はあったものの、ふつうに受け入れ、時によっては「なんか居心地がいいなあ」的に不快感どころか、喜びに変換していたこともあったのです。
そんなわけで、上記にあげたノイズ一覧は、現在の僕に当てはまるものでして、その感覚は人それぞれということを自分で実証したことになります。頻繁に旅をしているインドの都市部は、日本のノイズの比ではなく、カオス(混沌)という表現ですら生ぬるいくらい、ごちゃごちゃしているにも関わらず、なぜか時々、心地よさを感じてしまうこともあるのでした。
そうそう、こんなことが実際にありました。
埼玉の田舎に移住してきて2年目の秋、台風によって家の前を流れる川が増水しました。ギリギリセーフで氾濫に至りませんでしたが、家が建つ敷地を支える擁壁が、川の激流によって削り取られてしまいました。その修復工事が2ヶ月にわたって行われたのですが、ストレスMAXな騒音だったのです。
日中は出かけることもあったので、まだ問題は少なかったのです。ところが夜、川の流れをコントロールするためのモーター音が稼働しており、それが異様に耳に入ってくるのです。秋とはいえ、暑いので窓を開けて寝るわけですが、静けさのなか、モーター音だけが鳴り響いているのでした。
静寂に慣れてしまった僕にはかなりの苦痛で、クレームを入れる寸前まで我慢しました。
ノイズレスな環境に身をおいてしまうと、身体も心も贅沢になってしまうのは仕方のないことでして、もし都会で暮らしていれば、これくらいのモーター音なら気にならなかったはずです。しかし、微細なモーター音は、知らず知らずに感じないカタチで僕たちにダメージを与えているんだなあ、と感じた出来事でした。
ノイズが少ない環境で得られた暮らしとココロの状態
現在、僕が暮らしている環境は西武池袋線沿いにある埼玉の田舎です。
川、山、畑、田んぼだらけで、通っている食べ物屋(カフェなど)は夕方5時になれば閉店してしまい、家の向かいのおばあちゃんやおじいちゃんは遅くても夜8時には寝ています。徒歩圏内にLAWSONとセブンイブンはありますが、セブンイレブンはだいぶ前から朝7時OPENの夜11時CLOSEです。
街の暮らしと比べると相当不便・・と思ったのは、移住してきて一ヶ月間でした。
住めば都、という諺を引き合いに出すまでもなく、田舎暮らしの快適さのほうが、不便さに勝るのに時間はかかりませんでした。部屋からは空と緑と川の流れを望み、窓を開ければ気持ちよい風が吹き、家には1日中太陽の光が降り注ぎます。川のせせらぎ、鳥(この時期はうぐいすが美しい)と虫の鳴き声を聴きながら、静寂と共に眠りにつく暮らしに慣れてしまうと、街の暮らしに戻れなくなるのです、リアルに。
家がある周辺には、もちろんギラギラしたお店の看板やネオンはありませんし、目に入るのは木と空と山と家と車くらいです。人口密度が限りなく低いエリアなので、スマホの電波も多重ではありません。ちなみに、街中では(場所によりますが)脳にブイーンという微細な震えと圧迫を感じ、呼吸が浅くなり、まるで電子レンジの中にいるような気持ちになります(レンジの中に入ったことはありませんが)。
移住してばかりの頃は、空間的な静寂によって、気持ち的にも感覚的にも自分が緩んでいく感じが気持ちよくて、しょっちゅう昼寝をしておりました。
こんな感じで、ノイズが少ない環境は(全くゼロではありません)無意識的な緊張や凝りがゆるんでほぐされ、ゆったりとした気持ちで生活ができるのでした。これは、どんなに防音設備が整った高級マンションでも味わうことが出来ない感覚です。3年ほど前、代官山駅前にある高層マンションの35階に友人が部屋を持っていて時々、泊まりに行っておりましたが、夜景の美しさ以外は、埼玉の田舎のほうが僕的に快適に生活できています。
静かな環境によって、静かなココロを得ることができたのでした。
さらなる快適さと心地よさの向上を得るためには?
便利さよりも静けさと心地よさを優先した結果が現在の田舎暮らしです。
今の環境でもじゅぶんノイズレスで快適ではありますが、現状に満足したら進歩は止まってしまいます。さらなる心地よさを追求する姿勢と野心は捨ててはいけません。例えば、現在住んでいる戸建ての賃貸は、ロケーションこそ最高ですが、僕の理想のライフスタイルにとって欠かすことができない薪ストーブはありません。
太陽光の入り方、風の通り抜け、間取り・・など贅沢を言えばキリがありませんが、まだまだ大満足できる家ではありません。不満に意識をフォーカスしてはいけないと思いつつも、やっぱり真冬は薪ストーブでパチパチと燃える火を見ながら本を読みたいですし、さらに快適な家で暮らしを楽しみたいと夢が芽生えます。
そんなわけで、
もっと動いて働いて、ガッツリ稼いで、更なるノイズレスな環境を探求したいと思います。
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