沢庵をつまみながらオールドメディアの終焉とこれからの生き方について考えてみた。

近所のおばちゃんが漬けてくれた沢庵が実に美味い。

家の軒先に無農薬で育てた大根を干して仕込んだ昔ながらのふつうの沢庵なのだが本当に美味い。もちろん、あやしい添加物とか保存料とか、人工甘味料とかそんなものはいっさい入っていない。2月になると1本半分のやつを300円でわけてくれるから毎年大根7〜8本分はポリポリといただいている。

宮崎産のこれまた美味い日本茶をすすり沢庵をつまみながら、ここ最近の大手メディアの失態について考えて書いてみることにした。個人的な考察ではあるが記録として残したほうがいいと思ったからだ。

日本のオールドメディアが終わりを迎えた2025年の春。

大手新聞社の新聞、その配下にあるテレビ、ラジオなどを現在はオールドメディアという認知が広がっている。2024年11月に行われたアメリカの大統領選挙あたりからだ。

僕の視点では大東亜戦争の前から、政府と大企業に都合のいい報道ばかりをして、日本を惨禍に巻き込んだ時点でオワコンであると考えている。

別の見方をすれば20世紀初頭からどの国でもメディアは政府機関の一部であり、国民ではなく政府とスポンサーである大企業ファーストであるのは、ふつうのことだ。もっと言えば、一般市民を扇動し洗脳するのが大手メディアの重要な役割なのだから、マスコミはちゃんと仕事をしていると評価できる。

が、残念なことに政府側の視点に立っても、国民を誘導するという機能が果たせなくなってきている。つまり、報道に関しては情報としての価値が微塵もない。

だからオールドメディアと呼んで差し支えないのかもしれない。

事実を事実として報道できない、バイアスをかけて偏った情報を流す。それに思考が停止している情報弱者たちが群がる。匿名で何の責任も持たない人々がそれっぽいことをSNSなどでコメントしては悦に浸るという構図。

他者からの承認欲求に飢えている人々が8割、価値ある情報提供者が2割ってとこだろう。

過去には、日本人の特質を利用したフェイクニュース(切り貼りした自分たちに都合がいい情報)で空気を醸成し、集団誘導した結果、原子爆弾を二発も落とされたわけだし、少し前のパンデミックでも大惨事となった。それでも人々は思考を止めて情報を鵜呑みにしてしまう。機関銃をもった米軍に竹やりも持って突撃し玉砕の輪のなかに入らなければいけなし、効果がないとわかっていても人目を気にしてマスクをすることになる。

ちゃんと考える人は誘導されない代わりに非国民呼ばわりされたり、バイキン扱いされるから厄介だ。

この戦争時代からつづくシステムは、現在でも変わっていない。日本の場合、テレビや新聞はお上(政府)に刃向かうことはできない。それは、集団性を重んじる日本人の性質によるところが大きいかもしれない。

そして、ここ最近はフジテレビ問題が話題になっている。それは、氷山の一角に過ぎないし、テレビ局だけでなく芸能事務所やプロダクション内部は聞くにおぞましいことが日常で行われているだろう。決して表にでることなく鎮静化してなかったことにするのが日本のシステムだ。

ただ、視聴率低下によるスポンサー離れで予算不足は深刻なようで、番組の質が大きく下がってきている。BS民放はさらに深刻で番組のほとんどがテレビショッピングで、その合間に過去の番組をたまにやる再放送専門チャンネルとなってしまった。

インターネットが発達し、スマートフォンを皆がそれぞれ持つ現在、テレビ離れは加速している。ただ、大手企業をはじめとするスポンサー付きネットメディアは、現在でも自由な発言をすることはできない。先日も、USAIDに関する内容を自分の番組であつかったYouTubeチャンネルの収益がバンされたことが話題になったばかりだ。

為政者や利権者にとって都合がわるいことを発信すると消されるYouTubeも、すでにオールドメディアと言える。かと言って、日本のテレビが不要であるという話ではない。

それは日本にはお笑い文化があるからだ。

ニュース報道やワイドショーに価値はいっさいないと思うが、人生をかけて芸を磨いてきた芸人さんたちのお笑いは世界的な価値があると思っている。それから、プロ野球、サッカー、相撲などこれも日頃から人生をかけて魂をけずって切磋琢磨しているスポーツもコンテンツとしての価値は失っていない。

逆に、現在のテレビは制作費が安く済むB級グルメのオンパレードだが、制作費をかけていないYouTube番組と大差ないためその価値は薄い。ドラマもNetflixがあれば十分だ。

お笑いとスポーツ、どちらも暇つぶしと言ってしまえばそれまでだが、感情の起伏に飢えている現代人にはとても大事なコンテンツだ。元来、テレビは非現実的を疑似体験させてくれるツールだ。しかし、LCCの普及によって気軽に世界中を旅をできるようになった現在は、テレビだけではなくインターネットから離れてリアルな体験をすることができる。

スマホをひらけば動画だらけで、多くの人はすでに飽きているのではないか。

動画では退屈しのぎができなくなるフェーズに突入しているし、自分の「推し」と興味ある分野でかつ上質な情報のみ追えばいいのだと思う。僕なら西武ライオンズ、ベジ料理、カーリング、インド、日本の神様関連の番組は、とても有難い。

そして、ここ最近の生成AIの発達によって、インターネットも含むメディアからの情報はいっきに価値が下がった。ネット上の文章も動画もAIを絡めるとチープになってしまっている。だからこそ、行動を起こして実際に体験をすることが、僕たちが豊かな感覚で生きるために必須となった。

ゆえに、オールドメディアは「上質なひまつぶし(上質な笑いと感動)」に徹して番組を作ればいいし、ネットメディアはリアルな体験をサポートツールとしての役割を果たせばいいと考える。いずれにしても、旧世紀の世界大戦とコロナ騒動を見れば、フェイクに惑わされず視聴者がちゃんと自分の頭で考えてメディアと向き合う必要があることだけは間違いがない。

一歩前に踏みだす勇気と行動力こそが僕たちが豊かな人生を送るために必要なことだと思う。

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