8月15日になると観たくなる映画「日本のいちばん長い日」原田眞人監督版

日本が無謀な戦争をしていた時代、本当に無謀で無茶なことをやって、この世の極限を、兵隊さんも一般市民も政治家も皆が味わって、そして多くの命が消えていった。軍部が暴走した満州事変から太平洋戦争が終わった1931年7月7日〜1945年8月15日のことだ。

僕からすれば歴史の教科書と映画、小説のなかでの絵空事(情報)でしかない。

けれども、この狂気に満ちた時代に小学生の頃から興味があった。子供の頃、育った場所にはまだ戦争の名残があった。自宅の仏壇には軍服姿の祖先の写真が飾ってあったり、戦争時代に配布された冊子とか、中島飛行機で軍用機の設計をしていた頃の道具や設計図(空爆で社屋が燃え上がる中、燃えないように抱えながら逃げてきたらしい)が家にあったのを母親が見せてくれた。

鮮明に記憶にあるのが、親戚のおじさんの家に夏休みに遊びにいった時、おじさんが戦友会の集まりに僕を連れていってくれたことがあった。仕出しの料理と瓶ビールが並んでいて、おじさんたちが陽気に飲み食いしていると、誰かが軍歌を勇ましく歌いだし、おじさんも戦友たちと肩を組んで大声で歌っていたことを憶えている。

それらからは、ノスタルジックな物悲しさを幼いながらに感じていた。

僕の子供時代の戦争にまつわる思い出とか

戦争が悲惨だったことは子供ながらに分かる。終戦当時はまだ幼児だった母親が、米軍機が空から近づいてきて機関砲を打ってきたなか大人に手を引かれながら必死に逃げたという記憶を話してくれたこともあった。近くに軍事施設がない渡良瀬川沿いの田舎なのにB-29が爆弾を落としたそうで、実際に子供の頃、不発弾が見つかった騒ぎがあって友人が学校の授業で絵を描いていた記憶がある。

僕が生きてきた時代は至って平和だ。

それなりに悩んだり苦しんだこともあったが、飢えたり、命の危険を感じたことは一度もなくここまで来れた。海の向こうでは戦争が絶えることはなかったが、テレビ画面を通じての絵空事でしかない。

時々、テレビで放映されていた戦争映画はとにかく悲劇的な内容だった。

特に神風特攻隊というは、つたない子供の想像力でも受け入れるのに抵抗があったし、それ以上に人間魚雷(回天)はトラウマレベルにやばいと思ったし、もっと言えば、原子爆弾も、切腹も、一億総玉砕という発想も、戦争にかかわるすべての行為を子供だった僕は野蛮極まりないし人間は愚かだと思った。

なのに、この時代に歴史としての興味が深くある。戦国時代や明治維新よりも、第一次世界大戦が終結して第二次世界大戦が終わるまでの出来事と人物たちを深く知りたいと思うのだ。

この時代を知ろうとすると本がいちばんの資料となるわけだが、エンタメ要素も求めてしまう僕なので、やはり映画となる。しかし、子供の頃から心から観てよかったと思えた戦争を扱った日本映画に出会っていなかったのである。洋画では「大脱走」に感銘を受けたし、スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」、クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」など、すごく感動した。

ただし、シンドラーのリストだけは衝撃があまりにも強過ぎて、もう一度観たいと思うのだが、怖くて観れないというジレンマがある。日本映画でいえば「火垂るの墓」もすごく感動したが、シンドラーと同様に観るのが辛くてリピート鑑賞をできないでいる。

ちなみに第二次世界大戦を扱ったいちばん好きな作品は手塚治虫の漫画「アドルフに告ぐ」だ。

前振りがかなり長くなってしまったので本題に入ろう。

終戦間際を描いた映画「日本のいちばん長い日」に思うこと

原田眞人監督の「日本のいちばん長い日」は、僕的に戦争を描いた日本映画の最高峰である。半藤一利さんの原作も読んでみたが、かなり面白かった。ジャーナリスト・戦史研究家の肩書きをもつ半藤さんが徹底して史実を調べ上げて書き上げた小説で、1945年春に鈴木貫太郎内閣が始まってからポツダム宣言を受諾して、8月15日の玉音放送に至るまでの人間ドラマだ。

最初にこの映画を観た時の感想は「セリフが早くて聞き取れない」だった。

そのおかげで内容を理解するために何度も観たし、原作も読むことになったのだ..

脚本は監督自身が書いており、原作の小説に監督ならではのテイスト(半藤さんの他の作品も取り入れたようだ)を加味してある。俳優さんの芝居がまるで本当に実在しているかのようにわざとらしくないのだ。だから台詞回しも実際の人間が喋るように演じている。

この映画では主役が何人もいて、陸軍大臣の阿南大将(役所広司)、鈴木貫太郎総理大臣(山崎努)、昭和天皇(本木雅弘)、陸軍将校の畑中少佐(松坂桃李)がそれぞれの視点で物語は進んでいく。そして、その人たちは全員が本当に自分の命懸けで責務を全うしようと動いている。命懸けというのは、命を賭けるくらいの覚悟で..という意味ではない。

本当に死ぬという選択肢を手段として、命を差し出して自分の役割を全うした。

阿南大臣は、戦争終結に反対して暴走した(8.15以降も暴走するであろう)一部の陸軍の動きを収束させるために自らの腹を切った。鈴木首相も、死刑になることを覚悟して天皇陛下のご聖断を仰ぎ、畑中少佐は自身の信念のために死ぬ前の最後のあがきとして宮城占拠という暴挙に走った。昭和天皇に至っては、死刑になっても構わないから戦争の全責任を自分が負うとマッカーサー元帥に進言している。

その高潔な意識と命をまっとうする姿に感動する。

当時、海軍の連合艦隊は壊滅状態で、日本各地に無差別爆撃が連日のようにあり、刻々と敗戦へ近づいていった時期。徹底抗戦派と和平派によるせめぎ合いによって終戦の判断が遅れに遅れ、状況が悪化するばかりだった。そんな中、終戦への道筋を模索していく総理周辺と天皇陛下は苦悩する。その一方で日本人が全滅するまで抗戦すべしとする将校や戦争指導者たちが、クーデターの計画が顕在化していく。

そんなもたもたを嘲笑うかのように広島に原子爆弾が投下される..

好みの問題だが、感傷的だったり正義を振りかざすような内容よりも淡々と事実を描いたドキュメント的な映画のほうが感動する。戦争に正義も悪もない、というのが僕の考え方だ。

ひとりの人間の力ではどうにもならない時代のうねりに巻き込まれた時に、僕たちはどう生きたらいいのか?をこの主人公たちが教えてくれる。激動の時代に生まれ、大きな責任を担った先人たちの生き様は、戦争という出来事を省みる以上に、人の生き方を示してくれる映画だった。

この時代の人たちに恥ないように僕も生きて、命を使い切りたい。

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