令和三年 高麗神社の例大祭に参列させて頂いた顛末と坂口安吾の書

高麗神社 例大祭

2021年も10月下旬となりまして、朝晩はめっきり涼しくなり寝ていると身体が冷えてしまい、いよいよ冬用の掛け布団をひっぱり出した僕(@ka_zz)です、ごきげんよう。

ついこの間、新年を迎えたと思ったらあれよあれよと時間は流れ去り、今年もあと2ヶ月です。

さて、今回は僕が住んでいる埼玉県西部の田舎町にある、高麗神社の例大祭に参列させていただきました。それはもう感動的に素晴らしい時間でした。例大祭というのは、その神社にとってもっとも重要なお祭りのことで、昔は大祭(おおまつり)や御祭(おんまつり)と呼ばれていたそうです。

その神社によって例大祭の日はそれぞれですが毎年行われる日付は決まっており、たとえば大國魂神社は5月5日、氷川神社は8月1日となっています。高麗神社の例大祭は最も重要なお祭りとして10月19日に執り行われています。お米やお酒など秋の実りを奉納して、神様に感謝を捧げるお祭りです。

高麗神社の例大祭に参列させていただいた経緯。

高麗神社 例大祭

神社にとって1年を通じてもっとも重要なお祭りが例大祭です。

高麗神社は毎年10月19日に執り行われておりまして、その年に収穫したお米や作物を感謝と共に神様にささげ、世界平和と人々の幸福を祈願するお祭りです。高麗神社は今年で創建1305年を迎えた、由緒ある神社で、世間では出世大明神とも呼ばれて久しくなります。

過去に参拝した政治家が立て続けに6人も総理大臣になったことに端を発しております。政治家にとどまらず太宰治、坂口安吾、壇一雄、幸田露伴などの文豪など各界の著名人もこぞって参拝をされており、さらには令和の天皇陛下や、平成の天皇陛下と皇后さまもお越しになられております。

高麗神社 例大祭

高麗神社 例大祭

そんな立派な神社の例大祭の午前は、その年に高麗神社に貢献した人や奉納をされた人の表彰から始まり、その後、宮司さんたちによる神事が厳かに執り行われるわけです。

今回は僕ではなくマハラニオーガニック代表(南インドの無農薬野菜から作った絵の具の製造と販売)が、高麗神社に絵を奉納し、その功績を讃えられ表彰されることになったのです。僕も2018年からこの会社のホームページを制作して依頼、絵の具を世の中に広めるためのWEBマーケティングを担当しておりまして、今回は写真の撮影もかねて同席させてもらったのでした。

 

[blogcard url=https://maharaneeorganic.com/]

表彰式からの二時間におよぶ荘厳な儀式と昼食会。

高麗神社 例大祭

高麗神社から表彰されたマハラニオーガニック代表

およそ7年ぶりのスーツとネクタイで、朝8:50に神社内にある参集殿に集合。

神社から表彰されるのは人生で初ということもあり(僕ではなくマハラニ代表ですが)、どんな風になるのかまったく分からず当日を迎えました。おそらく、宮司さんから賞状やちょっとした記念品をもらって解散・・そんな予想をたてていました。

9時になると表彰される御一行さまは御神殿に招かれます。

神様の御前で高麗宮司(1300年つづく高麗家の第六十代当主) により、ありがたいお言葉と額縁入りの立派な表彰状をいただき、30分ほど待機をしていると、参列が始まるので集まってくださいとの呼び声がかかりました。

高麗神社 例大祭

高麗神社 例大祭

「参列って何!?」

と思いながら、指示通りに境内へ出てみると、奈良時代にタイムスリップしたかのうような装束をまとった神官たちや、楽器や大傘をもった宮司さん、巫女さんたちが並んおりました。僕たちは、この列の後ろに並んで、第二の鳥居をくぐり、参道から祓所(はらえど)へと移動しました。

祓所(はらえど)では、身を清めるためのお祓いを授かります。そこから拝殿へと進み、拝殿から直接、御本殿へ上がらせていただき、儀式に参列させていただきました。

雅楽の演奏のなか、祝詞奏上、巫女の舞、供物の献上など・・2時間弱におよぶ荘厳な儀式となりました。神様や高貴なものがお近くに出現されるとゾクゾクとして鳥肌が立つ体質でありまして、神様の存在をとても身近に感じることができました。

この2時間は、30分くらいで終わった感覚で、とても不思議に感じた次第です。

▼高麗神社にまつわる本

ちなみにマハラニオーガニック社代表は、神様を肉眼で見ることができる特異体質の持ち主でして、高麗神社の主祭神であられる高麗王若光の御姿をしっかりと拝見されたようです。

儀式が終わりますと、再び拝殿から参道を歩き、第二の鳥居を出ると、元にいた神楽殿前に並び、宮司のご挨拶によって神聖な時間終了しました。

高麗神社 例大祭

マハラニオーガニック代表が寄贈した絵

高麗神社 例大祭

いただいた御神酒

高麗神社と昭和の文豪・坂口安吾

儀式が終わったあとは、大広間にて今回表彰された人や日頃から神社に貢献されている方々との食事会となりました。御神酒をいただき、美味しいご馳走をいただき、帰り際には会で余った高麗王までいただき、きっと神様からのご褒美なんだろうな、と思いながら家に帰りました。

その後、仕事をして夕食で神社でいただいた赤飯を食べていると「あ、そうだ」と思い出したことがあったのです。

それが、高麗神社を題材にした昭和初期の文豪・坂口安吾の「高麗神社の祭の笛」を読みたくなって、風呂上がりに読んだのです。第二次大戦終戦後まもない頃、高麗神社の例大祭に訪れた坂口による、歴史検証的な面白い話で、当時の高麗と、お祭りの様子が詳しく書かれていて、とても面白く、1時間ほど読みふけった最後・・

私たちはオミキをいただき、赤飯を御婦人連へのオミヤゲにぶらさげて、とっぷりくれた武蔵野を石神井の檀邸へ帰る。
檀君(檀一雄)の長子太郎にも総理大臣のオ守りを配給したが、翌朝太郎はカバンをひッかきまわしながら、「モウ、オ守りをなくしたよ。それでも、大丈夫? 大丈夫だねえ」なにが大丈夫なのか知らないが、総理大臣になるコンタンでもなさそうに見えた。

こんな終わり方で、この短編は幕を閉じるのでした。

そう、僕もオミキと赤飯をこの日いただきました。この短編が描かれたのが昭和26年(1951年)というのですから、70年も昔のこと。当時から高麗神社の風習は変わってないんだなあ、きっとその100年前も同じように御神酒と赤飯で、客人をもてなしていたんだなあ、としみじみと感じながら眠りについたのでした。

 

▼坂口安吾の新地理日本史


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