映画「オッペンハイマー」を観た感想と原爆について書いてみた。

2023年のアカデミー賞作品賞に輝いた「オッペンハイマー」を観た。クリストファー・ノーラン監督らしいポンポンとリズム良く進行するので180分が長くは感じなかったのだが、この映画は歴史的な背景とかあらすじをあらかじめ頭に入れておいた方が、さらに面白くなるだろう。

ただ、この映画は情報量が多いので最低3回は観ないと理解ができない。けれども、その価値はある。

僕たち日本人は、小学校で広島と長崎に落とされた原子爆弾について教わったし、その威力と甚大な被害は子供ながらに恐怖した。そのインパクトは強烈で大人になるまでに、原爆実験の場面に立ち会い、爆風と放射線に晒される夢を繰り返し見ていた。

その夢はかなりリアルで、岩場に隠れている僕の周囲には数人の大人たちがいてじっとしていると、遠くの方でピカッって閃光が走ったかと思ったら轟音と共に爆風がくる。飛ばされないように何かに捕まっているのだが、放射能によってカラダがずきずきと痛くなっていくのを我慢している..

原子爆弾を実際に使用したのはアメリカであるが、開発はナチスドイツのほうが1年早かったらしい。それを危惧してスタートしたのが今回の話の軸となる「マンハッタン計画」だ。責任者がオッペンハイマー博士で、当時ナチスから迫害を受けていたユダヤ人である。劇中に登場するアインシュタインもユダヤ人であったがマンハッタン計画には関わらなかったようだ。

オッペンハイマーがユダヤ人であったことが、広島と長崎に落とされた原爆に大きな影響を与えていた。

詳しくは映画を観てほしいのだが、仮にユダヤ人でなかったとしたら?

歴史が変わっていたと思わせる内容だ。

ヒトラーによるユダヤ人迫害は、人類に影響を与えた20世紀の出来事のなかでも相当な悲劇ではあるが、それ以上に原子爆弾の発明は僕たちの世界に影響を及ぼしている。「核抑止力」という危うい定義によって正当化されてはいる。しかし、ボタンひとつで人類が滅ぶ装置がこの世に存在していることは、原爆と水爆があることを知る者すべてに真の精神的平和はない。

二元的ではあるが自分の生活、命、平和を他人に握られているのが僕たち人類なのだ。

原子爆弾を実際に広島と長崎に投下をした理由を正当化したい人たちは戦争を終結させたためと言うし、そんなものは詭弁であると言う人もいる。ただひとつ確実なことは、広島と長崎に原子爆弾を爆発させてその威力を示したことで、抑止力の名の下にアメリカとソ連および複数の国あわせて何万発の核ミサイルを保有したわけだし、それによってウラン屋と武器屋は儲かった。

そして、

超お金持ちの人たちは、核戦争が起きた時に何年も地下で生活する準備をしているらしい。さらには地球から脱出して他の惑星で暮らす準備も具体的にしているようだ。個人的には、そこまでして生き延びようとは思わないが、核戦争後の世界にも興味はある。

核の冬によって、動植物は壊滅的な被害にあい食糧も無くなるだろう。

それでも、人類の極一部はたくましく生き延びていくと予想する。

全人類が数百人とかそれくらいになって、そこから新たな人類の繁栄に向けて再スタートをし、何百年、何千年かけて復興をしていくのだはないだろうか。そしてまた、未来にオッペンハイマーのような人間が出現して大量破壊兵器の元になる発明をすると、時の権力者によって戦争の道具として使われる..

そんな繰り返しが、この地球人の運命なんだと思う。

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