
食べることは、僕の人生にとって大きな喜びである。
だから、一回一回の食事を大事にしたいと常々思っていて孤独のグルメの主人公のように食べ物、料理としっかりと向き合いながら食べることを堪能したい。しかし、日々の暮らしのなかではなかなか難しい。つまり、手を抜いてしまうことも多々あったりする。
先日、父親のところに行った時は大雨のなか買い出しやら何やらで時間が無くなり、スーパーで買ったパンと父親がこしらえてくれていたカップ麺で済ませた。これはこれで有り難かったが少しばかり切ないものがある。地元での日々は、夕食こそ料理を楽しんではいるが、インフレで何もかもが値上がりしている現在、食べたいものよりも節約に意識が行ってしまっている。
高麗にある隠れ家レストランgunniiは、移住してきてから年に2回ほどランチを食べに行っている。完全予約制なのだが、これがなかなか予約が取れない人気ぶりで、予約が取れても4ヶ月先になる。それでも、gunniiでの食事は慌ただしい日常から離脱して自分を見直すことができる貴重な場になっている。
日々淡々と自炊を楽しんでいるが、レストランの食事は大人になった現在でも特別なものがある。プロの料理人が作るのだから当然なのだが、gunniiはそれに加えて空間に流れる時間がご馳走なのだ。決して豪華というわけではないし、かと言ってカフェのようなカジュアルな感じでもない。
12時を少し過ぎると、本日のメニューを丁寧に説明するところから始まる。
フレッシュジュース、野菜のオードブル、スープと自家焼きのパン、メインの料理、おまけのひと品、デザート、珈琲という流れを2時間かけてゆっくりと味わう。慌ただしい暮らしの合間に、呼吸を整えてひと息つける特別な時間が流れていき、心のざわつきが嘘のように鎮まるのだった。
それと同時に内省もできるのがgunniiの空間だ。
店内も庭も食器も音も、ひとつひとつの細部にまで意識が入ったなかにいると、僕は何を大切にして生活をしているのだろう?という疑問がアタマをよぎったりする。生活の感覚。目に入るもの、耳に聞こえるもの、匂い、座ったり寝たりする時の肌に伝わる心地よさを、僕は蔑ろにしていると反省してしまう。
その次に、我が家の改善策がつぎつぎと思い浮かんでくる・・
高麗の5月は、ただ歩いているだけで生きている喜びを細胞レベルで感じることができる。
穏やかな空気、爽やかな風、鳥たちとカジカガエルの鳴き声、木々たちがそよぎ、眩しいくらいの緑と青い空、雨で洗われた高麗川のせせらぎ。それらが紡ぎ出す空気感は幸福そのものだと思える。
それを味わうためには自動車生活では難しい。
風を肌で感じることができる徒歩か自転車での移動に限るのだ。
そして、早朝がもっともこの天国を味わうことができるわけだから太陽が昇る前に起きて活動を始める生活が最高に気持ちいい。自然界が作り出す風景は完璧だ。人間が作り出す風景は不調和をもたらす。それでもギリギリの調和を感じることができるのが高麗である。
近年、暑い夏が10月までつづき秋の心地よさを感じる期間がほとんどないことを考えると、5月という貴重で短い時間を心ゆくまで味わいたいと思う。
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