
2026年の夏は、酷暑日は4-5日くらいしかなく思いのほか楽に過ごせた。代わりにほぼ毎日のように雨が降り、日本各地で警報が発令されあちこちで被害が出たが、締切仕事のために引っ越しの片付けもままならず時間だけが過ぎていった。そうこうしているうちにインドへ旅立つ日がやってくると前日の夜中にようやくパッキングをして真夜中の2時半を過ぎて睡眠に入る..
8月29日の朝、6時半に起きて身支度を整え、高麗駅へ向かうといつもの西武池袋線に乗った。
昨年11月以来のインドは、2018年に行ったヒマラヤ四大聖地巡礼(チャールダーム・ヤトラと呼ばれる)の続きとなる。ジョーティルリンガムがあるケダルナート、バドリナートを巡った旅から8年が過ぎた。その間、いろいろなことがあった。これらの聖地がヒンドゥ教徒のインド人しか入れなくなるという話があるらしく、滑り込みで残りのヤムノトリーとガンゴトリーをまわるのが今回の旅となる。


飯能駅から特急ラビューで池袋駅へ到着。
西武池袋駅のホームは栗山巧一色となっていた。30日に引退試合をする栗山巧に別れを告げることが、この旅の最初の目的だ。西武ライオンズで25年もの間、バットを振り続けた栗山巧がユニホームを脱ぐと宣言してからの1年はあっという間に過ぎていったように思う。
幸い、今年は補強の甲斐もあり上位争いをすることができた。生え抜きの中堅野手たちが不甲斐なかったりチャンスで打てないは今まで通りだが、それでもAクラスで戦っているという事実はファンからすれば有難いことだ。栗山に「25年間お疲れ様、そしてありがとう」と心のなかで伝え、山手線に乗り換えて羽田空港へ向かった。途中、品川駅の厚手のパーカーを買うためにユニクロに立ち寄ったところ未だ夏ということで在庫がなく、スタッフさんが確認をすると第1ターミナルの店舗にあるということだった。
集合は第3ターミナルだったため、急ぎでユニクロへ向かうと無事に目的のパーカーが手に入れることができた。引越しの際に長袖の服はほぼすべて捨ててしまった。インドを旅する場合、エアコンの効きが良すぎる場所があるのでそのためである。
11時50分フライトのエアーインディアにチェックインするためにカウンター前の行列に並ぶ。ともに旅する仲間たちや先生は先に来ていたようで既に前の方にいた。いよいよ旅が始まろうとしているこの時間は緊張と期待が入り混じった独特の感覚になる。スーツケースを預け、出国手続きを済まし旅の仲間たちが集まってヴィーガンのピザがある店でブランチをいただく。
ところが、飛行機に問題があったようでフライトが13時50分になった。
こればかりは仕方がない、ということでカフェでドリンクを買い出発ゲート前で待つことにした。途中、当初予定のゲートと変わったことが分かり慌てて移動をすると、カウンター前に人だかりが出来ていた。何かと思ったら1000円分の買い物ができるチケットをもらえるらしい。搭乗時刻まで15分しかなかったがとりあえずチケットをもらいCHAYA(ヴィーガンフードが沢山ある)でチョコレートラスク2個と交換。
旅のおやつが増えて意気揚々と出発ゲート前へ戻る。搭乗の時間が近づいていたが、何やらまたインド人たちがざわつきながらカウンター周辺に集まっていた。すると非情にも僕たちをデリーへ運んでくれる357便が「欠航」というアナウンスが流れる。最初は耳を疑った。過去に、台風の影響で13時間遅れたことがあった。しかし欠航になったのは人生で初めての出来事だった。
すでに出国をしているため、まずは再入国をしなければならない。
スタッフさんの誘導によって357便の乗客専用の入国カウンターに案内された。この後、どうなるのか予想がつかないまま入国手続きをしてキャリーケースを受け取りに向かった。ふつうに考えれば、航空会社の手配で羽田空港周辺のホテルに宿泊して翌日の便でフライトとなる。ところが、この日は土曜日だった。おそらく部屋を手配しようにも空きがあるのかどうか?微妙な状況で、実際にホテルの部屋はまずは国に帰るインド人が優先になった。その次に小さな子供がいたり身体に事情がある人、そして空港から家が遠い人だ。つまり、東京に住んでいる人は家に帰って欲しいとスタッフさんから説明があった。
幸い、僕の自宅は埼玉ということでホテルを手配していただいた。その後、色々とやりとりがあったらしくツアーに参加する全員が羽田空港内のホテルに宿泊できることになった。実にありがたかった。時間は16時半を過ぎていた。国際線が出ている第3ターミナルのすぐ隣にあるヴィラフォンティーヌにチェックインしてミヤモト氏とリバービューの相部屋でひと息ついた後、レストランのビュッフェで夕食をとった。

前の日、ほとんど寝ていなかったのでお腹いっぱい食べると眠くなったが、お腹を軽くするために空港内を1時間ほどウォーキングした。夜になっても雨が降り続いていた。連絡バスで第1ターミナルまで行きスターバックスで珈琲と思ったが、やはり疲れがあったので成城石井で旅のおやつを購入するとホテルに戻りシャワーを浴びてすぐに消灯をした…
2日目・羽田空港からデリーそしてハリドワールへ
羽田空港内にあるヴィラフォンティーヌのリバービューの部屋はとにかくよく眠れた。
ふつうならツインルームで素泊まり15000〜18000円はする。
それに夕食と朝食がついたから25000〜28000円くらいはするだろう。機体のトラブルとはいえ航空会社が負担するわけだから利益が削られ、現場の対応が大変だったと思う。予定はだいぶ変わったが素晴らしいホテルに宿泊できたことで体力は回復したし、夕食も朝食もかなり美味しかった。その分、この日は前日の欠航で遅れたスケジュールを取り返すためにデリーに着いたらそのままハリドワールへ移動することになった。飛行機で8時間半、車で4時間の大移動になる。
2日目、エアインディアのチェックインカウンターに到着したのは8:35頃。
前日の欠航で飛べなかったお客さんを乗せるために大きい機体に変更してのフライトになった。日曜日だし357便はおそらく満席だったと思う。すぐ翌日に座席数が多い機体にサイズアップできるようにあらかじめ準備はあったということだろう。ただ、旅の仲間のうち4人はANAでインドへ向かった。それを考えると、やはり裏ではいろいろ大変なやり繰りがあったと想像できる。
何はともあれ、この日は搭乗まで順調に進みいよいよフライトする時間になった。
日本としばらくのお別れだ。
インドの旅は観光ではなく修行だ。期待と不安が入り混じる心境の僕たちを乗せた357便は急加速をして離陸をしたのだった。機内では映画を観る気満々だった。エアインディアということでインド映画が沢山あってどれを観ようかいろいろ迷ったところで「マイケル」を途中まで観た。今年の6月、所沢の映画館で観ていたせいか機内の小さいモニターとイヤホンではこの映画の面白さが伝わってこない。大好きな「3 idiots」も途中まで観たが英語字幕のため集中できずこれも途中でやめてしまう。
そうこうしているうちに1食目の機内食が運ばれてきた。

羽田を11:50にフライトして九州上空へ差し掛かろうという時間だ。エアインディアの機内食は美味い。特に日本発のカレーはいつ食べても美味しい。この日は野菜とソイパニール(豆乳チーズ的なもの)のカレーとほうれん草カレーの2種。期待通りの味で大満足。これから毎日カレーのみの生活になるしカレー好きとしては嬉しい旅の始まりになった。
機内はとても快適だった。エアインディアは観たい映画がなかったので8時間半のフライト時間を考えると次回はiPadでも買って映画、本などを入れていこうと思う。今回は旅の仲間とゲームをしたり会話をしているうちに睡眠は取らずにインディラガンディー国際空港に到着。
現地時間で17時過ぎ。10ヶ月ぶりのインドは流石に久しぶりという感覚はなく、ガイドさんに案内されて空港のパーキングまで歩くと4人乗りの車に乗った。本来ならニューデリーのホテルに宿泊する予定だった。しかし、欠航のロスを取り戻すために直接ハリドワールへ向かう。ニューデリーからハイウェイに乗るまでに渋滞があったが順調に北へ走った。


前回、ハリドワールへ行ったのが2018年のこと。
それからパンデミックがあってしばらく来ていなかったうちにハリドワールまでのハイウェイが全線開通したようだ。初めてハリドワールへ来たのがアガスティアの葉を開示した後のガンジス側沐浴の時だったから2012年だった。この時は、まだわずかしか高速道路が伸びておらずニューデリーから7時間くらいかかった記憶がある。それはそれで僕としては楽しかった。
ハリドワールは12年に一度行われるヒンドゥ教のお祭り「クンブメーラ」の会場のひとつ。およそ1ヶ月の間に4億人が参加すると言われている世界最大の宗教祭で、そのたまに高速道路を整備したのだと思う。
車窓から見える高いビルやハイテク製品の看板を眺めていると着々とインドが発展していることを実感する。時間の流れの速さを感じながら途中でいつも立ち寄るドライブインでトイレ休憩をして、その後いっきに今夜の宿「God win hotel 」まで走った。
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現地時間の22時半過ぎに到着したハリドワールのGod win hotelは2012年にひとりでインドへ行った時にも宿泊した馴染みのホテルだ。建物は当時のままだったが、驚いたことにホテルのすぐ前がハイウェイになっており景色がだいぶ変わっていた。チェックインを済ましてすぐにホテルのレストランで遅い夕食にありつくことができた。ホテルだけあって豪華なカレービュッフェで腹ごしらえをして部屋へ戻る。
日付は変わって0時過ぎ、シャワーを浴びて瞑想をしてすぐにベッドへ潜った。翌日は、ガンジス川で沐浴をするために5時起きだ。その後、ヒマラヤへ向けて長い長い山道のドライブとなる。今回の旅も体力勝負だ。iPhoneの目覚ましを4時50分にセット。とにかく睡眠が大事ということで消灯して眠りについた。
目を閉じて間もなく意識が閉じ、次の瞬間もう朝だった。
3日目:ハリドワールからヤムノトリーへ山道を移動
インド時間で8月31日、朝5時。外はまだ暗いなか水シャワーを浴びて強制的に目を覚ました。お湯が出ないハズレ部屋だった。どっちみち1時間半後には川の水に潜るわけだからその練習だと思って水を浴びた。車に乗り込んでハリ・キ・パイリーと呼ばれるガート(沐浴場)へ向かう。

車を降りると8年ぶりのガートへ徒歩で向かう。早朝だというのにすでに人が沢山いる。ガンジス川の沐浴というと、日本人はバラナシとかコルカタのような下流をイメージすると思う。僕たちが沐浴するのはいつもハリドワールで、上流から下ったエリアにある。だから水はかなり冷たい。その代わりに水質はわりと綺麗なところで場所に沐浴をする。
今回はガンジスの源流付近が大雨つづきらしく、かなり水量が多い。そして、砂というか泥が混ざった状態だった。僕が住んでいた家の前を流れる高麗川も大雨が降るとしばらく川が濁るのと同じだ。日本でも雨続きの8月だったがインドの山間部も同じだったようだ。久しぶりのガンジス沐浴ということもあり緊張はしていたが、神聖な感覚に包まれながら潜る準備をした。


この日は小雨が降っていたが太陽が昇る方を向いてガンジス川とシヴァ神のマントラを唱えながら沐浴を開始。流れは思ったよりも急ではなく足を持っていかれずに済んだ。それでも流されないように必死な気持ちで川に潜った。回数も数えながら潜った。途中、インド人の3人組が僕の川上に入ってきて邪魔になったが、かまうことなく潜りつづけた。たぶん、21回終わっただろう。川から上がりタオルで身体を拭く。
これは実際に体験してみないとわからないことだが、この爽快感は普通じゃない。
自分に取り憑いていたノイズというか邪魔だったものをガンジスが洗い流してくれた感じだ。同時に、大仕事を成し遂げたような達成感で満たされる。そして不思議なことに顔つきまで変わるのだ。一緒に沐浴した仲間たちの顔はどこか柔らかく、そして凛としていた。


ホテルへ戻ってすぐにシャワーを浴びると、今度は熱いお湯が出た。相部屋のミヤモト氏がお湯を出すためのコツをガイドさんから聞いてきたのだ。さすがに気持ちよかった。身体も冷えていたので助かったし心まで温まることができた。インドでは、ホテルでお湯が出る確率は1/2くらいだ。期待をしてしまうと冷水だった時の落胆が激しいので基本は水シャワーだと思っていた方がいい。
荷物の整理を済ますと、楽しみにしていた朝食のためにレストランへ向かった。God win hotelは過去に4回宿泊したことがあり美味しかった記憶がある。インドはとにかく野菜、果物が豊富にある。
ふだんは朝食を摂らないがフルーツだけでも食べようと思いビュッフェを覗くとあれもこれも美味しそうに見えてしまい、ついつい欲張って皿に盛ってしまう。この先を旅を考えると間違いなくカレーの日々がつづくし、パンにした。確かシヴァの葉の旅立ったと思う。お腹を壊してスパイスと油を身体が受け付けなくなったことがあって、その旅で10枚切りの薄いトーストにハマったことがあって毎日食べた。

チャイ(ストレートティー)と一緒に食べるパンは実に美味い。残念ながら期待していたパイナップやマンゴーは季節外れでビュッフェに並んでいなかったが、満足度の高い朝食をいただくことができた。ちなみにインドではお茶全般をチャイと呼ぶようだ。僕たちが日本で飲むミルクや豆乳のチャイはマサラチャイになる。お店で「チャイをください」というと基本はマサラチャイが出てくる。ベジタリアンはストレートティーとかブラックティーが欲しいと注文するといいようだ。
部屋に戻ると休む間もなく僕たちは車に乗り込んでヒマラヤを目指した。
12〜13時間の山道ドライブが待っていた。道中は崖崩れがあることも予想され、目的の宿まで無事に着くかどうかの確証はない。インド人ドライバーさんは運転は乱暴だが技術は高いから信頼をして身を委ねるしかなかった。ホテルを出発して45分ほどでかつてビートルズの4人が瞑想修行をしたリシケシュを通過したあたりにある地区運輸局に立ち寄った。
リシケシュからヒマラヤ山脈の奥地(チャール・ダームなどの巡礼路や高山地帯)へ車両で向かう際、山岳道路を安全に走行できるかどうかの車両検査(車検)を受け、通行許可証を取得する必要がある。日本には無いシステムだ。運輸局が10時オープンと同時に僕たちの車は受付をした。2018年の時は1時間くらいで済んだが、今回は2時間半以上かかった。普通自動車だけでなく、バス、二輪車、リキシャ、トラックなどの運転手や乗客たちでごったがえした。外は激しい雨が降り続いていた。その間、カビ臭い待合室で日本から持っていったチェスをしながら許可がおりるのを待った。
羽田空港での欠航からここまで慌しかったから束の間の休息をとることができた。

12時30分を過ぎた頃..激しく降り続いていた雨が止んだ。
無事に許可証が発行されて再びヒマラヤへ向けて出発した。ここからが山岳ドライブの本番になる。前回、そして2014年のシヴァの葉の旅で学んだことだが、山岳地帯ではトイレに行くことが困難だ。だから水分は可能な限り飲まないのが秘訣である。ペットボトルの水が手元にあってもちびちびと喉を湿らす程度にしか飲まないほうがいい。そうしないと苦労することになる。
30分も走ると車窓に流れる景色は雄大そのものだ。
僕の性質なんだと思う。車や電車、バスに乗っている時間が好きだった。
旅というのは目的地で目的を果たすのがメインではある。しかし、僕は目的地から目的地までの時間がとても愛おしく感じる。それはインドだけでなく、日本で神社巡りをする時も同じだし、日常生活での移動もそうだ。買い物でも仕事でも移動の時間に大きな価値を感じている。
だから、13時間の移動であってもまったく楽しい。調べてみると、リシケシュからガンゴトリーへ行くには電車はなくバスか乗合タクシーか貸切タクシーになるようだ。貸切タクシーだと12000〜15000ルピーを乗った人数で割ることになる。15000ルピーは約30000円なので3人が乗ってひとり1万円、往復で2万円ということになる。バスだと往復で約4000円のようだ。
道中のあちこちで崖が崩れて道路の真ん中に落ちてきた超巨大な岩があった。
もし、直撃したら即死レベル。山岳地帯に入ると道路は1台が走る幅しかなく対向車とのすれ違いはどちらかの車が路肩に停止する必要がある。それでも通れない場合はすれ違いできる幅がある場所までバックで戻る。それだけではない。車が1台通れる通れないかの道なのにガードレールがなくて、もし車輪を踏み外したら300mある崖から落ちてしまう。それなのに対向車が急スピードで突っ込んでくる..そんなことを繰り返しながら走った。
途中、ところどころに休憩できるお店があって1回目の休憩と食事は15時くらいだった。カレーを食べてチャイを飲んだ。インドでは必ずと言っていいほどスナック菓子も売っている。ひと袋10ルピー(20円)はお菓子好きにはたまらない。お茶のお供に買う。塩だけのシンプルで美味いムングダル、スパイシーなポテトチップス、インド独特のスナックがいろいろ楽しんだ。

2回目の休憩はすでに夜になっていた。19時30分をまわっていたと思う。最初の目的地「ヤムノトリー」へ向かう山道にあった食堂だ。トイレを済ませてからここでもチャイをいただいた。とてもお洒落なお店で居心地がいい。みんな気に入ったようで写真を撮っていた。
お店の若い男性が運転手さん用のチャイを作っている様子を見ているとどこかほっとする。刻んだ生姜を鍋に入れて煮込んでいた。運転手さんも早朝のガンジス川沐浴からドライブしているからきっと疲れていると思う。夜になって道路の見通しもよくない。ここからホテルまではさらに2〜3時間かかるということだった。30分ほど休んだあと再び目的地を目指して出発した。
▼2回目の休憩をした食堂「Shalom The Himalayan Cafe」
僕たちが向かっている場所は、ガンジス川と並ぶ聖なるヤムナ川の源流付近にあるヤムノトリーという寺院だ。標高3291mがにあるため登山が必要になる。この日は、ヤムノトリーの麓にある街から車で1時間半くらいの場所にあるホテルに宿泊。休憩した食堂からは3時間近くかかって到着。街灯もない真っ暗闇の山のなかにある「Swarnim resort」に着いたのは22時を過ぎていた。
車から降りると川の流れの音がする。おそらくヤムナ川がこのホテルのすぐ近くにあるはずだ。ホテルは長屋づくりでリゾートな雰囲気だ。この夜もミヤモト氏と同じ部屋になった。
夜遅くのチェックインにも関わらずホテルのスタッフさんと看板犬が温かく出迎えてくれた。
その柔らかい表情に心が軽くなる。重たいキャリーケースはホテルのスタッフさんが車から部屋の前まで運んでくれた。本当にありがたい。部屋は巨大なクイーンベッドと小さいシングルベッドがあって入り口のドアの締まりがわるく出入りにコツが必要だった。ミヤモト氏がクイーンベッド。僕は入り口側の窓に面したシングルを選んだ。
部屋に荷物を置いてすぐ、別の棟にある小さい食堂で夕食にありつくことができた。温かいカレーが2種類あってインド米にかける。北インドのカレーは、どこで食べても日本人の口に合う味でついつい食べ過ぎてしまうのは仕方がない、と自分に言い訳をしながらおかわりをする。他にも色々とおかずがあったが深夜のため控えめにした。
食後のチャイが疲れた身体に沁みて実に美味い。
この夜は、勉強会があってシャワーを浴びて瞑想をすると26時過ぎ、眠りにつく。
4日目:大雨のなか標高3291mのヤムノトリーまで登山参拝
朝6時30分、iPhoneの目覚ましが鳴り眠い目をこすりながら起きると、ヤムナ川の心地よいせせらぎが聞こえる。シャワーを浴びて目を覚ますと山登りのための荷物をまとめる。標高が3000mを超えると気温も下がるため羽田空港で買ったユニクロのパーカーとガイドさんから借りたレインコート、おやつのボンタン飴をリュックに詰め込むと、集合場所の食堂へ向かう。
▼2泊した宿「Swarnim resort」
年季の入ったカップでチャイを飲み、山で食べるお弁当とバナナを受け取ると、宿の看板犬に見送られながらヤムノトリーへ出発。パラパラと雨が降るなか、細い山道を車で登っていった。車が1台ギリギリ通れる崖道で反対側から来るバスと譲り合いながら進む。途中、徒歩で通学をする女学生たちにすれ違うと、こんな山奥にもたくさん人が住んでいるんだなと思ったり、あちこちに見かけるヒンドゥ寺院を眺めたりしながらおよそ2時間、ヤムノトリーの麓にある小さな街に到着。
ガイドさんの話ではこの街が標高2200mくらいにあって、そこから1000mの高低差を徒歩で登って3291mにあるヤムノトリーへ向かうようだ。車から降りると雨は降っていなかった。しかし、間違いなく山登りの途中で雨になるとのことだ。
トイレを済ませると、いよいよ登山開始。
足に自信がない人は、ロバや馬をレンタルをして登ることもできるし、屈強な男性4人が神輿のような木組のもので運んでくれる。体重が軽い女性はカゴに背負ってもらって登ることもできた。僕は、徒歩で登るぞと気合を入れて挑んだ。3000m級の山は日本の立山で登ったことがあるし、以前、西インドにあるギルナール山の9999段の階段を、大雨のなか踏破した経験もあり、普通に登れると考えていた。
1時間後、それが甘かったことに気づくことになる。

麓の街からヤムノトリーまでは7kmで高低差は1000mを登る。山道ではなく石畳と階段で所どろこに崖崩れや道の真上に滝があって、難所こそないものの相応の体力が必要となる。スタートして1時間ほど歩いた地点で雨が落ちてきた。ついにきたか!しばらくはレインコートを着ないで雨のなかを濡れながら歩いた。気温は10℃を下回っていたと思うが動いているので寒くはない。
しかし、雨足が強くなるにつれてふだんは傘もささずレインコートを着ないインド人たちが、立ち止まって雨具を装備し始める。僕のレインコートはポンチョタイプではなくズボンと上着に分かれている昔ながらのやつだ。着るのが面倒だし、着たら動きが鈍る。ギリギリまで粘ったものの土砂降りになったところで岩陰を見つけるとリュックからコートを取り出して着用した。背負ったリュックを覆うように上着を着たので袖に腕を通すのが至難の業。やっとの思いで着ると頂上の寺院を目指して再び歩き始めた。
土砂降りのなかを標高3291mまで登るのは、もちろん人生初。すでに高地ということで酸素が薄く呼吸がかなりキツい。足取りが重くなって馬やロバ、人が担いで運乗り物「ドーリー」や背負子(カンディ=カゴを背負って小柄な人を運ぶ)に次々に抜かれていく。うっすらと頭痛もしてくる。さらに、車のなかでバナナを食べただけだったので腹が減って体力がいっきに無くなってしまった。
それでも、一歩ずつ前に進んでいけば必ず目的地につく。その事実だけを意識して登っていった。
土砂降りの雨は止む気配がまったく無い。
だいぶ登っただろう、と思っていた時、インド人のガイドさんが「やっと半分きたね」と言ったのを聞いてさすがに心が折れそうになった。スタートしてすでに2時間は経過している。iPhoneを出して時計を見るゆとりもないし、ましてや絶景をカメラに収める気力も湧かない。とにかく、前に進もう。途中で馬に乗る、という選択肢もあった。けれども、旅の仲間ミヤモト氏に6000円で馬を使うならそのお金で美味しいピザを食べよう!と豪語してしまった手前、意地でも歩いて頂上まで行くことにした。
おそらく標高3000mを超えたあたりだと思う。酸素の薄さと大雨にへこたれそうになり10歩進んで1分休み、10歩進んで1分休み..そんなペースでひたすら歩いた。ところが、ここで驚くことが起きたのだ。一緒のペースで登っていた旅の仲間が「息をちゃんと吐くといいですよ」と僕に言ってきた。まさかと思って意識して息を深く吐いてみる。2分くらい経った時、今までの苦しさが嘘のように呼吸が楽になった。不思議に思ったが、頭を使って分析するとそれだけ酸素を消費するから考えないことにした。
先を見るとようやくヤムノトリーの寺院らしきものが見えてきた。
ラスト1kmあたりから勾配が急になったことで呼吸法ができなくなってしまい、元の苦しい状態に戻ってしまう。文字通り「ぜえ、ぜえ」と息をしながら自分がカタツムリでもなったかのうように少しずつ前進。普段の運動不足と空腹、そして酸素不足がこたえた。
なんとか、前進してあと200m付近まで来ると、激流のヤムナ川にかかる橋を渡ると群衆が見える。
▼ヤムノトリー寺院
雨季で参拝者が少ないわりには、ものすごい人だ。最後の力を振り絞ってヤムノトリー寺院へ辿り着くと、すでにご祈祷が始まっている様子で靴を脱ぐと神殿のなかに案内された。薄暗い寺院のなかで護摩焚きの準備をする僧侶を見ながら呼吸を整えようとするが、頭がふらついてしまってどうにもならない。護摩祈祷が始まり、さすがに立っていられず床に座り込むと少し楽になって意識を保つことができた。
その後、神殿内で湧き出ている温泉の神様に挨拶をし、別の棟にあるハヌマーン神に挨拶をした後、3-4分ほど腰掛けて休みながらリュックからボンタン飴を取り出して食べた。水もほとんど飲まずに登ったので相当喉が渇いていた。トイレに行きたくなったらアウトなので最小限だけ飲んで乾きを癒した。すぐに山を降りることになって立ち上がり重たすぎる身体にムチを打って歩き出す。
帰りは下りだから気持ちは楽だ。酸素が薄くて呼吸がキツいだけで足腰は痛みもなく軽かった。
土砂降りのなか、ひたすら降りていく。途中で、雨宿りできる場所があったので休んでいるとミヤモト氏がリュックからお弁当とマンゴージュースを取り出した。僕も自分のお弁当を取り出そうと思ったがレインコートを脱がないとリュックを開けることができない。水だけ飲んでいたらお弁当を半分分けてくれた。ポハという米料理でナッツとグリーンピースが入っている。ビリヤニよりも柔らかくて食べやすかったし、何よりも空腹だったので生き返った。6-7分くらいの休憩だったが残り6kmを下山するのに十分な体力と気力を養うことができた。
生き返ったところで再び山を降りていく。およそ1kmごとに3分くらい休んで、また歩いて..を繰り返す。
そして、下山を初めて2時間くらいでスタートした街に戻ってきた。さすがに、最後のほうは膝が疲れて足がガクガクになってしまった。それでもなんとか自力でたどり着いた、その充実感に包まれながら小さな食堂に入り、チャイを飲み、マギー(インドNo.1の即席麺)をいただいた。
レインコートを脱いだらTシャツは汗と雨でびしょ濡れ。幸い、ズボンはさほど濡れずに済んだ。2018年のインド、ケダルナートの山頂で食べて以来のマギーは身体にも心にも沁みて美味かったし、何より無事に下山できてホッとした。30分ほど休憩した後、車に戻ると昨夜泊まった宿へ向かった。
実は、ここからがものすごく大変だったのだ。
山道を走り始めてしばらくは順調だった。ところが、前の車が停止するとなかなか進まない。運転手さんが車から降りると、なにやら落ち着かない様子で外をうろちょろしている。15分くらい経った時、どうやら崖崩れで大きな岩が道路を塞いでいるということが分かった。ホテルまではこの道(NH134)しかルートがない。最初は楽観的だったものの90分くらい経過するとさすがに不安になってくる。
車の後ろは大渋滞でバックもできない。
車のなかでやることもないので寝ようかと思ったが眠くならず同乗者としゃべっていた。「最悪、車中泊も覚悟しよう」そんな話題にもなった。立ち往生して2時間が過ぎた頃だったと思う。周囲がざわつき始めた。どうやら、道を塞いでいた岩を地元の人たちが重機を使って撤去してくれたらしい。雨季は、崖崩れが日常茶飯事だということでいざという時の作業体制が整っているらしかった。
やっと前に進んでひと安心したのも束の間夜、また車が止まってしまった..
僕たちの車は再び、崖崩れに見舞われたのだ。
ヤムノトリーへ向かう唯一の幹線道路は、巡礼者にとってもこのエリアで暮らす人々にとっても大変重要である。もしも、大規模な崖崩れが起きて長期的に通行止めになったらチャールダームが成立しなくなるわけだからヒンドゥ教徒にとっては一大事だ。例えるなら、日本人にとって伊勢神宮や出雲大社へつながる唯一の道路が塞がれるのと同じくらいの意味がある。
おそらく、そうならないように復旧体制がしっかりと整えられているのだと思う。
車のなかで刻々と時間が過ぎてゆく。20時半をまわっても動く気配がない。順調に走れば2時間でホテルに着くがすでに3時間を経過していた。止まっていた車が動き出したのは21時過ぎだった。どうやら、撤去作業が済んだらしい。崖崩れが起きた場所には、大型バスが斜めを向いて放置されていた。どうやら、上から落ちてきた岩か何かが直撃して走行不能になったようだった。乗っていた人がどうなったかは分からないが無事であって欲しいと願いながら宿へむかった。

22時、ようやくホテルに辿り着いた。朝からバナナ1本とミヤモト氏から分けてもらったポハとマギーしか食べたない。さすがにお腹が空いた。食堂には若いインド人のスタッフさんが僕たちの帰りを待っていてくれたようだ。温かいカレーと米とおかず、デザートまで用意してあった。疲れていても食欲はあったし、美味しいカレーを食べて元氣になった。
食べ終えてチャイを飲んで、シャワーを浴びてベッドに入ると瞬間で意識が消えたのだった..
5日目:ガンゴトリーの中継地点ウッタルカシにある宿へ

ヤムナ川のせせらぎに包まれた深い眠りのおかげで、登山の疲れはすっかりと癒された。
6時に目覚ましで起きた僕は少しばかりベッドのうえでごろごろしていた。この日はホテルをチェックアウトして次の目的地へ出発が11時ということで気持ちも時間もゆとりがある。筋肉痛も足の痛みもなく体調は万全だったが朝食は食べずに部屋で瞑想にふけったりiPhoneで日本のニュースを見てゆったりと過ごした。朝から曇り空だったが、時折晴れ間も見えたので昨日の大雨で濡れたTシャツやズボンを洗濯して外の椅子に干してたりしながら穏やかに時間が過ぎていく。
同じ宿に連泊ということで、この場所にも馴染んで居心地がいい。今回の旅、どのホテルも素晴らしかったしそれぞれに特徴と思い出があるなかで、このSwarnim resortがいちばん気に入った。
豪華でも食事が特別美味しいわけでもない。宿の評価というのは人それぞれだと思うけど、僕としてはどれだけ静かに深く眠れるか?というのがポイントとして大きい。それから目に入る風景も大事。今回の旅は、どの宿も川沿いのロケーションで素晴らしかったし、山にも囲まれていた。都会のホテルが苦手な僕としては最高だったし、また泊まってみたいと思う。
▼5日目に宿泊した宿「Shivlinga Tourist Complex」
この宿を離れて次の目的地へ向かうのが名残惜しかったが、まだまだ旅はつづく。
こっちに来てからというもの晴れ間がのぞくはほとんどなかったがこの日は天気がよかった。ガンジス川沿いの山道を走る車の窓には雄大なヒマラヤの峰々や美しい山間の街や寺院が見える。美しい景色に息を呑みながらどんどん進む。この日は11時に出発して4時くらいには次の宿に到着予定で、ウッタラカンド州のウッタラカシという街にあるホテルへ向かう。
移動日ということで少しばかり気分が楽だ。
途中、街道沿いのホテル「HOTEL ANANTAM RESIDENCY & RESTAURANT」に併設された食堂に入ってランチ休憩があった。ヒマラヤへ向かうチャールダームの巡礼者たちが立ち寄る宿のようだ。いつものカレーを食べて、車に乗り込んでまた走る。
この日は、旅の間で唯一と言っていい、トラブルが起きない日だった。
▼この日のランチを食べたレストラン
ウッタルカシに近づくにつれて大雨になったが順調に進み、17時前にはホテルに到着。
この街はヒマラヤ山脈の麓に広がり、古くからヒマラヤ巡礼の中継地点としての宿場町で、ガンゴトリーへ向かうための神聖な場所として栄えてきた。雪が溶ける5〜10月は、修行者だけでなく聖地を目指す巡礼者や旅行者たちが、ここを拠点にして宿泊するだけでなく日常的に瞑想や修行も行っている。神を求めるものが集まる街に出て散策はできなかったが、宿にいるだけでもその空気感を感じることができた。
宿はガンジスの源流のひとつバーギラティ川沿いに位置する。
▼Shivlinga Tourist Complexの部屋からの眺め

駐車場に到着してホテルを見渡しながら、この宿は全部屋リバービューではなく川側と駐車場側のどちらかになると思った。せっかく泊まるのだから川側がいい。しかし、こればかりはリクエストができる状況ではなかったがジャンケンで相部屋になるか独り部屋になるかを決めることになった。気持ち的には、ひとりで気ままに寝たいという思いがあったのでジャンケンに挑む。負けた..
今回もミヤモト氏と一緒になった。よほど縁があるのだろう。運良くリバーサイドの部屋になった。古めかしい作りのホテルでドアを閉めるのもギシギシと音がする。それでも部屋は広く豪華な作りで大きいソファーとテーブルが設えてあった。ミヤモト氏の厚意で川側のベッドを選ばせてもらう。窓からの眺めは大雨で激しく流れる川とその奥に広がる山、そしてところどころに建っている家が数軒見えた。
僕らの部屋で80分ほど勉強会をした後、別の棟にあるレストランでカレーを食べた。

それから再び勉強会をして、それから皆で瞑想をした。
このホテルは、ものすごい勢いで熱いシャワーが出た。
ギザー(壁に設置された温水器)ではなく日本のホテルのように外に温水器があるタイプだったようだ。ギザーはシャワーを浴びる20分前にスイッチを自分で入れて湯を沸かす必要がある。この部屋は蛇口をひねるとすぐに湯が出た。久しぶりの熱いシャワーで天国にいるような気分だ。
ホテルに到着してからも雨は降り続き、肌寒かった。標高1200mにあるウッタルカシは夏でも過ごしやく秋になると朝晩はかなり涼しいらしい。インドで毛布をかけて寝ることはあまりイメージできないと思うが北インドではふつうのことだ。ベッドに潜るとすぐに意識が消えていった..
6日目:ガンジス川の源流ガンゴトリーへ
iPhoneの目覚ましで6時に起床。
旅も後半戦に差し掛かり、朝起きても若干疲労を感じるようになった。ミヤモト氏に朝食に誘われてフルーツだけでも食べようと思ったが部屋でシャワーを浴びたあと瞑想をして過ごした。バーギラティの流れと雨音が心地よく身体に染み込んでくる穏やかな時間はあっという間に終わり、荷物を整える。
この日は、6時間ほどの移動でいよいよ旅の最終地点ガンゴトリーを目指す。
朝8時に出発、相変わらず雨が降っていた。標高1200mから3415mまで登る山道ドライブだ。ヒマラヤの美しい山々を眺めながら意気揚々と走る。この道は、20世紀になってインドが英国から独立後に整えられた巡礼のためのルートで、バスや相乗りジープがひっきりなしに先を急ぐ。トイレ休憩で立ち寄った道端の小さなドライブインでそんな様子を眺めていると、インド人が神に捧げる情熱ってすごいなと思う。

この道路ができる前は、馬車や徒歩で何十日もかけて巡礼をしたそうだし、山岳地帯は崖崩れや滑落などの危険が満ちているわけだから、まさに命懸けの旅だったろう。それだけにチャールダームのひとつでも行ければ今生の目的を果たしたかのような達成感があったと何かに書いてあった。ひと昔前なら困難極まる聖地巡りを車で連れて行ってもらえるのだから幸運だ。
いずれは、ドローンタクシーに乗って今の何倍も早く安全に巡礼できるようになるかもしれないし、神様に会いにいくための労力がずっと減るはずだ。それでも、僕としてはガタガタと車に揺られながら時速40kmくらいで山道を走る旅は捨てがたい。
それだけ楽しい体験だったし、また同じ旅をしてもいいと思える。
▼1回目のトイレ休憩をしたドライブイン
しかしだ、このチャールダーム・ヤトラは外国人の立ち入りを禁止する方向で動いているとパラダイスツアーズの社長さんがおっしゃっていた。実際のところどうなるか?はわからない。禁止になればガンゴトリー、ヤムノトリー、ケダルナート、バドリナートに入れなくなる。実際にそうなった場合は残念だが今生でまた行くことは不可能。インド人として生まれる来世を待つしかない。
休憩後、道路の勾配はきつくなりどんどん標高が上がっていく。
実際、車のなかにいても酸素が薄くなっていくのがわかる。午前中、土砂降りだった雨はすっかりあがって山の裾野に広がる村、青空と白い雲がとても美しい。こんな景色は人生でそうは見られない。
そんな矢先、車が減速をし始めた。前をみるとボンネットから白い煙が出ている。瞬時にトラブルが起きたとわかるほどの煙だ。車が1台ようやく通れる幅の峠道をのろのろと走っていたが、駐車できそうな路肩を見つけると停止した。ドライバーさんが外に出てボンネットを開けて覗く。
万が一のために僕たちは車から下ろされた。

炎上するかもしれないので車から距離をとったところで、インド人の若者がトラックの荷台に山積みになった林檎を売っていた。野生の林檎の樹があちこちにあって沢山の実っている。クリシュナのお祭りの日だったようで屋根に大勢の人が乗ったバスが通り過ぎるのを眺めながら状況を見守る。
どうやら、ラジエター系のトラブルらしい。
この地点からしばらく走ると村があってそこに車の修理屋があるらしいと情報を得たようで、ひとまずは応急措置をすることになった。峠道では自動車のトラブルが日常茶飯事のため修理屋があちこち飛び回っているそうだ。林檎を食べながら状況を見守っていたら、ここから少し行ったところにトイレを貸してくれるレストランがあるということで息を切らしながら歩いた。

標高はすでに3000m近くあって、ものすごい田舎道だが食堂や宿が点在していた。
ガンゴトリーへつづく唯一の道だし、巡礼者が多くいるからだろう。店に入ってさっそくトイレを借りた。テーブルに着くとチャイを飲んだりお土産を買ったりして時間を潰す。ここでもインドN0.1の即席麺マギーを食べた。お店によって具が違うがここは野菜も何も入っておらず麺だけのシンプルな(手抜きというも言うが)調理だったが美味しくいただいた。
▼車のトラブルで休憩したレストラン
エンジンルームから煙が吹き出してからおよそ90分後、別の車に乗り込んで出発。
煙が出た車はキャリーケースを積んで修理屋へ向かう。よく言われることだがトラブルは旅のスパイス。大怪我や命にかかわるような事態になったら問題だが、今回の旅のように飛行機の欠航や車両故障くらいなら良い思い出になるし、実際のところ楽しいものだ。
ガンゴトリーにはそこから100分ほどで到着した。パーキングで降りてからは1kmほど参道を歩いて移動。ゴーゴーと激しい音がしたと思ったら街にかかる橋が見えた。大雨つづきなこともあり激流となっていてバーギラティ川(ガンジス川の源流)に吸い込まれそうな感覚になる。遠くには6000〜7000m級の山の裾野が見えて、晴れていれば素晴らしい景色だったにちがいない。


ガンゴトリーは標高3415mにある。さらに、ここから18kmほど登山をして標高4000m地点にあるゴームクと呼ばれるガンジス川の真のスタート地点に辿り着く。いつか行ってみたいと思うが外国人が入れるかどうかはその時にならないと分からない。
宿にチェックインするとすぐにご飯が用意されたので食べた。
▼ガンゴトリーの宿「BHAGIRATHI Sadan」
今回の宿はクイーンサイズのベッドがひとつあるだけのひとり部屋になった。5m先にはバーギラティ川が流れているためザーザーと聴こえてくる。夜になると気温が1℃まで冷え込むらしいが暖房はついてない。厚手の布団に潜って寝ることになりそうだ。食事が終わってチャイを飲むと宿から15分くらい歩いて滝を見にいく。ものすごい迫力に圧倒される滝だった。
皆はそのまま参道のマーケットへ行ったが僕は高地に順応できておらず部屋に戻り30分ほどごろごろしていた。ガンゴトリー寺院で火の儀式が始まるのが17時。それまでゆっくりと身体を休めることにした。
火の儀式(アールティ)というのは、神に捧げる聖なる礼拝のことで主要な聖地では太陽が沈んでから毎日行われている。ガンゴトリーでは寺院に併設されたガート(沐浴場)で行われた。ガンゴトリーに集まってきたインド人に混ざって僕たちも儀式に参加させていただいた。僧侶たちがヴェーダを吟誦しながら燭台に火を灯し、時計回りにぐるぐるさせてガンジス川に礼拝する。僕たちもその燭台を持たせてもらい同じように礼拝させていただいた。
1時間ほどの儀式は神聖かつ神秘的で、心の奥底が喜んでいる感覚に満たされる。
本当にここまで心の底から来てよかったと思うし、自分を誇らしく思った。
アールティが終わると、ガンゴトリー寺院内に移動。沢山のインド人参列者がいるなかでプージャ(神に感謝と祈りを捧げる儀式)が始まるまで地面に座り瞑想しながら待った。20時過ぎだったと思う。僧侶がリンリンと鈴を鳴らしながら煌びやかに飾られたガンガ女神に祈り、プラサード(食事)を捧げる。
厳かな雰囲気ではあるが、インド人たちは自分のスマホで家族や友達に実況配信をしている。当然、ここは撮影禁止だが彼らはお構いなしで、その表情はとても幸福で楽しそうだったから微笑ましく見ていた。ヒンドゥー教徒のインド人にとってここは最重要な場所のひとつだし、なかなか来られないわけだからその喜びを皆と分け合いたいのだろう。
お神輿が横を過ぎるて群衆の周囲を練り歩くと、神殿のゲートが開けられた。次々と人々が雪崩れ込んでいく。僕たちも列に並んでガンガ女神に挨拶をさせていただいた。今回のガンゴトリー寺院の参拝で僕自身のチャールダーム・ヤトラが無事に終了した。2018年9月にケダルナートとバドリナートを巡礼してから、海外に渡航できなかったパンデミックもあって8年越しの達成となった。

宿に帰って夕食をいただきチャイを飲み旅の仲間と語り合ってヒマラヤ最後の夜を過ごした。この宿の料理は、この旅でいちばん美味かった。厨房が見えたので覗くと、若い青年たちが調理しておりかなりの腕利きだし、この料理を食べるだけにまた行きたいくらいだ。
BHAGIRATHI Sadanは居心地がいい宿だった。
夜になると外気温は0℃まで冷え込み暖房設備がない部屋はさすがに寒く感じる。22時過ぎ、ミヤモト氏と散歩にでかけた。バーギラティ川にかかる橋を渡り、再びガンゴトリー寺院まで歩く。灯りはついて門はあいていたが僧侶も参拝者も見当たらず静寂そのものだった。夜の闇のなかゴーゴーと音を立てて激しく流れるガンジスの源流を味わい宿に戻ると、シャワーを浴びるためにギザーの電源を入れる。

日本のニュースをチェックしたり撮った写真を眺めながら20分ほど過ごしシャワーを浴びたが残念ながらギザーが働いておらず強烈に冷たい水しか出ない。頭を洗い、軽く身体も浴びてすぐにベッドに潜った。
チャールダーム・ヤトラを成し遂げた満足感に浸りながら眠りについた..
7日目:ヒマラヤから帰還そして聖地リシケシュへ
インドの夜は、一度眠るとトイレ以外で起きることはなく朝までぐっすり眠れる。
旅の疲れもあるがひたすら睡眠の質が高めだ。日本のホテルも含めて旅の宿はよく眠れて疲れがとれるかどうかが大事な要素だ。どんなに豪華でもベッドが合わなかったりノイズ(視覚・聴覚・嗅覚)が多かったりするとげんなりしてしまう。
その意味で、今回の宿はどこも素晴らしかった。
朝食は抜いてチャイだけ飲むと、荷物を整えて瞑想してから7時半に宿を出発。「また、ここに来られるだろうか?」と自分に問いかけてみる。「また、来よう」と自分に返事をした。16時間という短い滞在なのに不思議と名残惜しさが大きかった。
バーギラティ川にかかる橋を渡り、お土産屋と食堂が立ち並ぶ参道を1kmほど歩いて車に乗り込む。
この日はガンゴトリーからリシケシュまで10時間以上、標高3400mから350mまでのダウンヒルな移動日となる。ただ、ひたすら車窓からの風景を楽しみ、心に焼き付けていこう。今回の旅もそうだが車でもバスでも電車でも寝ることは殆どない。
その理由は、流れる景色が楽しいからで寝るのがもったいないからだ。
▼ランチで立ち寄った「Hotel Hill River Risort」
午前にトイレ休憩2回、昼食はウッタルカシのホテル併設のレストランでいただいた。
当初、リシケシュまでは10時間ほどで着く予定だったが、到着は19時を過ぎていた。日没後、ガンジス川で毎日行われるアールティには残念ながら参加できなかった。リシケシュで宿泊するホテルは2018年の時と同じだった。かなり立派な西洋的なホテルで束の間だが王様気分になれる。日本でもこのクラスのホテルに泊まることはほとんどないし、短い滞在だったが贅沢をさせていただいた。
0時30分まで勉強会と瞑想をした後、同部屋のミヤモト氏の課題を手伝い、眠りについたのは2時半過ぎのことだった。インドで過ごす最後の夜はあったいう間に終わって朝になった。
8日目:リシケシュからインディラガンディー国際空港へ
インド最終日、6時前にアラームで起きると熱いシャワーをたっぷりと浴びた。
睡眠時間は3時間ほどだが、景色が退屈な高速道路なので車のなかで寝るつもりだった。ミヤモト氏は僕よりも寝ていないのにハツラツとした様子でレストランへ朝食を食べにむかった。食欲がなかった僕は瞑想をして静かに過ごす。出発は7時半で時間はあまりない。荷物をまとめて忘れ物をチェックをしてから部屋を出る。集合時間まで少し余裕があったのでフルーツだけ食べようと思いレストランに行ってみた。
パイナップルとスイカを皿にもって、オレンジジュースをコップに注いでひとりテーブルに腰掛ける。高級な宿なので美味そうな料理が沢山あって誘惑にかられたが、さすがにカレーを食べるほどでもなくレストランを後にしフロントロビーへ向かい車に乗り込んだ。
▼リシケシュの宿「Hotel Vasundhara Palace」
ホテルを出発して2時間くらい走ったところで、ハリドワールへいく時に必ず立ち寄るドライブインで休憩となった。良さそうなチョコレートを売っているカウンターがあって、ささっとお土産を買い込む。味はわからないがとりあえずはインド産のチョコレートなので帰国したら世話になっている人に配るために買った。750ルピーを払いリュックに仕舞い込むとチャイを飲むためにフードコートへ向かう。
席へつくと、ガイドさんが料理を注文していた。どうやら皆のリクエストでドサを食べるようだ。実はここのレストランは何度も来ていて野菜ホットサンドイッチがとびきりに美味いことを知っていたので注文をしてもらった。写真を撮れなかったので2014年にこのレストランで食べた時のホットサンドイッチの写真を載せておこう。12年以上も経っているのに今回のものと同じで驚いた。

ドライブインを出てから3時間、高速道路は渋滞もなく予定時刻通りにニューデリー市内に着いた。
旅の最終日、いつも行く中華レストランで昼食を食べる。しかし、つい先ほどドライブインで食べたばかりなのでお腹は空いていない。ところが、出される料理がどれも美味しくて結局満腹を超えて沢山食べた。具沢山の熱々スープ、餃子、春巻き、焼きそば、炒飯、炒め物など10品はあったと思う。その後、ショッピングモールで30分ほどお土産を買い出してインディラ・ガンディー国際空港へ向かう。
時間にそれほどゆとりがなかったので、いつも立ち寄る空港内のスターバックスでのブレイクは無しになり、楽しみにしていたマハラジャマック(マクドナルドのベジバーガー)も食べることができなかった。とは言ってもお腹がいっぱいだったから時間があったとしてもテイクアウトしただろう。旅を楽しむ秘訣を思い出した。それは、なるべく空腹の時間を作ること。そうすることでたまたま出会った食べ物を美味しく食べることができる。その方が楽しいのだ。

チャールダーム・ヤトラという貴重な体験を無事に終えて、日常が待っている日本へ帰るための飛行機に乗り込む。ほぼ、定刻通りにフライト。機内では沢山寝ようと思ったが、やはり飛行機で寝るのはとても苦手だった。結局、機内では1時間くらいしか眠れなかった。
僕たちの乗ったエアインディアが羽田空港に到着したのは朝6時20分、日本は雨が降っていた。
つい2日前、ガンゴトリーにいたことが夢のように感じながら入国手続きを済ませて解散。どうしても味噌汁が飲みたい、という仲間たちを引き連れて空港内にあるお店で和定食を食べた。ごはんと味噌汁とおかずと漬物。カレーも美味いがやっぱり日本の食べ物は美味い。
いつも思うのだが、インドから帰るとしばらくもうインドはいいや、となる。けれどまた何ヶ月か過ぎるとインドが恋しくなってしまう。また、来年も行くことは決まっており、そのために仕事を頑張れるし、人生にとってのスパイスにもなる。できることなら、チャールダーム・ヤトラを今生でもう一回体験したいし、ガンジスの最源流ゴームクにも行ってみたい。
そんな夢を持ちながら、日々を生きていこう。
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